検証12:シュトゥットガルトの手記は贋作である――

Inspection XII: Is the note of Stuttgart genuine? -

 


1.シュトゥットガルトの手記(日記)とは何なのか?―

  1. What is the note(diary) of Stuttgart?-

 

 ≪♪BGM付き作品解説 練習曲 第12番 「革命」▼≫

 

今回紹介するのは、ショパンがウィーンからパリへ向かう途中のシュトゥットガルトで、アルバムに書き込んでいたとされている手記(日記)である。

まずはその全文を読んで頂きたい。

 

■フレデリック・ショパンのアルバム・日記から■

(※原文はポーランド語)

[183198日以降]

シュトゥットガルト。 不思議でならない! このベッド、僕はそれに向かおうとしているのだが、多分、一人ならず多くの死にかけた人達の役に立ったものと思うが、今日の僕はそんな事で嫌悪しない! 多分、一体のみならず多くの死体がこのベッドの上で寝ていた事だろうし、それらは長いあいだ横になっていたかも知れない? — とは言え、死人なるものは僕よりもつまらないものか? — 死人は(僕の)父の事、母の事、姉妹達の事、あるいはティトゥスの事など何も知らないだろう! — 更にまた、死人には恋人がいない! — (死人は)回りを取り囲んでいる人達と自分の言葉で話ができない! — 今の僕と同じように色の失せた死人の体。死体は今の僕のように冷たい。僕の回りは全てが冷たく感じる。 — 死体はすでに生きていない — そして僕は存分に生きてきた。 — 満足の行くほどに? — 死体なるものは生活に満足して死んだのか? — 満足して死んだと言うためには、立派に見えていなければならないのだが、この死人は全く貧弱である — 何となれば、人生と言うものは顔の形に多くの影響を与えているはずだし、顔にもその事が表れているはずだろうし、その事が体の外ににじみ出ているべきものではないのか? なぜ我々はそれほど貧弱に生きて来たのであろうか、その貧しさが我々を破壊し、死体のように見せているのだろう!— シュトゥットガルト中の塔の時計が夜の時を知らせている。ああ、今この瞬間に世界でどれほどの死人が出ただろうか! 母親達が子供達の前から、子供達が母親の前からいなくなった。 — 無数の計画が未完に終わり、その瞬間、死人の数に等しい数の悲しみが、いくつもの楽しみが失せ、いくつもの命が失われてしまった事か。多くの不誠実な保民官がいたのだろう、無数の命が失われた事であろう。悪い者も、そして良い者も死人となる! — 美徳も犯罪も同じだ! — 姉妹達 [一語抹消] 死体になる時。 つまりは、死ぬ事が人間の最善の行為である。 — では最悪な事とは? — 生まれて来る事! 最高の行為の反対を行く事。 世に生まれ出て来る事を怒るべきなのか! — なぜ僕はこの世に生き残されたのか [一語抹消] 動かない? — 何となれば、僕は非活動的だ! — 僕が生きていても人の役に立つだろうか! — 僕は人々の役に立てない、なぜなら僕にはふくらはぎがないし、口もない! — 仮に僕がそれらを持っていたとしても、それ以外のものは持っていない! — では、ふくらはぎとは何であろう — ふくらはぎがないと言う事はあり得ない! — では、死人にはふくらはぎがあるのか? — 死人にも、僕のようにふくらはぎがない;ここにもう一つの類似点がある。すなわち、僕には死と直面するための数学的な正確性がさほど多く欠けている訳ではない。 今日、僕は死にたくはない。ただし、子供達よ、お前達には何か悪い事があるのか。つまり、死以外に良い事を望んでいないのかも知れない! — あなた達がそれを望まないと言う事であれば、知ってもらいたい事がある — それは僕の幸福に直接関する事ではなく、間接的に[一語抹消] 幸福に関するもので、僕を愛してくれている事を知っているから。 彼女(※コンスタンツヤ・グワトコフスカ)はそのような振りをしていた、あるいはそのような振りをしているに過ぎないだけの事か。ああ、それは想像するのも難しい! — そうだ、そうではない、そうだ、そうではない、そうだ、いやそうではない、指から指へ…そうだ、差し違いとなった…僕を愛してくれている? 間違いなく愛してくれている? — (彼女は)好きなようにすれば良い。僕は、今日は気分が良くて、興味本位と言うより、胸の中では更に崇高な気分になっている。[二行抹消] 良い事は記憶しておける— [一語抹消] お父さん、お母さん、子供達よ。僕にとって最愛の人達、あなた方は何処にいるのですか? — 死んでしまっているのですか? — モスクワから来た悪党どもが僕に思い違いさせたのか! — あ、待って! — 待って…涙? — すでにずっと前から沸いていない? — なぜだろう? — かなり以前から乾いた嘆きが僕を包み囲んでいる。ああ、— 長い間僕は泣けなかった。何と良い事だろうか…恋しい! 恋しい、それで良い! — どのような感覚? それで良い、そして恋しい、恋しく思う時は良くはない、しかし嬉しい! — これは不思議な状態だ。しかし死人もそうだろう。同じ瞬間に良い気分と良くない気分が入れ替わる。幸福な人生に変わる、それも死人にとって良い事だ、過去の死を労わって、恋しくなっている。死人にとってはそうあるべきだ、今の僕にとってと同じように、泣く事が終われば、一瞬にして僕の気持ちが終わってしまう事は明らかだ。 — 一瞬の内に心が死んでしまっている! あるいは、一瞬の内に心が死んでしまった。— なぜ、永久に? — 何とかここまでやって来られた。— 自分で、自分ひとりで — [三行抹消] ああ、僕の貧困な人生を書くことは出来ない。気持ちが長く持たない。今年一年を通じて感じ得た多くの気持ち良い事柄などで心が裂けると言う事はない。来月をもって、僕のパスポートの有効期限が切れる。— 外国で生きる事は出来ない、少なくとも役所関連の事で生活して行く事は難しい。その事で、僕は更に死人に似通って来る。— 

 

シュトゥットガルト。 前の紙面に、何も知らないで書いていた— 敵が家の所まで来ている事を知らないで。— [一語抹消] 下町が破壊された — 焼き棄てられた— ヤシ(※ヤン・マトゥシンスキ)! — ヴィルシ(※ヴィルヘルム・コルベルク)が城壁のそばで戦死したに違いない。— マルツェリ(※ツェリンスキ)が牢獄に幽閉されている— あのまじめなソヴィンスキ(※ポーランド軍の将軍)が悪党どもの手に捕まっている! — おお、神様、あなたはまだいるのか? — いるが、仇を取る事が出来ないでいる! — あなたにはモスクワの悪党どもが今まで行なってきた凶殺の数がまだ足らないのか— あるいはあなた自身がモスクワの悪党どもの一員なのか! — 僕の可哀相なお父さん! — 僕のまじめな人、お腹が空いているのだろうか、お母さんにはパンを買うお金がないのだろうか! — 姉妹達はモスクワの悪党どものやりたい放題の悪事に対する怒りに疲れきってしまったのだろうか! パスキェヴィチ(※ロシア軍の将軍)、あのモヒレフ(※地名)の犬野郎の一人がヨーロッパ一の王族の宮殿に座り込んでいるのか?! モスクワの悪党どもが世界の王様なのか?[二行抹消]  — おお、お父さん、年を取ったあなたにとってこれも楽しい事の一つでしょうか! — 悲しみに浸っているお母さん、子供思いのお母さん、貴女はモスクワの悪党が娘の骨を踏みつけるのを見るために長生きしているのでしょうか[貴女を — 抹消]。ああ。ポヴォンスキ(※墓地の名)! 彼女(※妹エミリア)のお墓は大事にされているのだろうか? いや、壊されている — その他の死体を数多く積み重ねて墳墓になった。街が焼き払われた! — ああ、なぜ、僕はモスクワの悪党の一人なりとも殺してやる事が出来なかったのだろうか! おお、ティトゥス — ティトゥス!

 

シュトゥッドガルト。彼女はどうしているのだろうか? (彼女は)何処にいるのか? — 可哀相に! — モスクワの悪党どもの手に捕まっているのでは! — モスクワの悪党どもが彼女の首を絞めて- 殺してしまう! — ああ、我が命よ, 僕はここに一人でいる — 僕のところに来なさい — 貴女の涙を拭ってあげる、過去の過ぎ去った事を思い出して、現在の貴女の傷を癒してあげる。あの時、モスクワの悪党どもがまだ来ていなかった時 — あの当時、数人のモスクワ野郎が貴女の気に入ろうとしていた頃、貴女は彼らを馬鹿にした、僕もその時、そこにいた — [一語抹消]  僕だ、グラブ(※人名グラボフスキの略。グワトコフスカの将来の夫)ではない…! — 貴女のお母さんは生きていますか? — そんなに悪い人! — 僕は非常に良い(母親を)持っている! — あるいは、僕にはすでに母親がいないかも知れない。きっとモスクワの悪党が殺しただろう…そして姉妹達は、気も狂わんばかりにされても屈しなかっただろう — お父さんは悲しみに沈み、 何をする事も出来ず、母親を抱え上げる者が誰もない。 — それなのに、僕はここで何もしないでいる、空っぽの手があるだけで、時折ため息をついているのみで、ピアノの前で心の苦しみを吐き出して、悲しみに沈んでいるのみだ — これからどうなるのだろう? — 神様、神様、大地を揺り動かし、この世の人間達を呑み込みたまえ[]。我々に助けの手を差し伸べなかったフランス人に最悪の痛みを与えたまえ。

「フレデリック・ショパン研究所(Narodowy Instytut Fryderyka Chopina)」より

 

さて、これを一読してあなたはどう思われたであろうか?

もちろん、これをショパンの書いたものだと信じるか信じないかはあなたの自由だ。

 

私は、すでに何度も述べてきたように、これは完全に贋作であり、しかもこれを創作したのはスタニスラフ・タルノフスキーだと考えている

     スタニスラフ(スタニスラス)・タルノフスキー(18371917)は、クラクフ大学のポーランド文学の教授で、ポーランド科学アカデミーの学長にして著名な著述家、講演家であり、何よりもこの手記(日記)を含むショパンのアルバムを発見したとして、これを公表した人物である。ただしこの発見者が公表したのはあくまでもテキスト上の断片の抜粋ばかりで、どう言う訳か、肝心要のアルバムの現物(真筆資料)そのものは公表しなかった。

 

そもそもこれは、ショパンがこれを書いたかどうかを論ずる以前の問題に思われる。もはや筆跡鑑定がどうこう言う以前の話に思われるのだ。

なぜなら、人は、このように錯乱した状態にある時、その錯乱状態をリアルタイムで文字に記録するような行動は決して取らないからだ。そんな事は実際したくても出来やしないだろう。錯乱した人間に出来るのはただ錯乱する事だけだ。

この文章は、これが書かれるに至った直前の状況を検証すれば、これが現実の人間による現実のリアクションによるものではない事が分かる。

この文章は、もはや戯曲や芝居の独白セリフを創作するような執筆工程でしか生まれ得ないのである。

つまり、冷静な精神状態にある第三者が創作文として書いたのでない限り、このような文章が成立し得るシチュエーションなど考えられないと言う事だ。

 

現実的に考えて最も不自然なのは、都合3日にわたって書き分けられているうちの2日目の、その冒頭の文句である。

そこにはこうある、

「シュトゥットガルト。前の紙面に、何も知らないで書いていた−敵が家の所まで来ている事を知らないで」

これなどはもう完全に「説明セリフ」であり、つまり現実の人間の言葉ではあり得ない文章である。

まず、「ワルシャワ陥落」の知らせにショックを受け、とても日記など書くどころではないはずなのに、そんな人間が、何よりも最初に「シュトゥットガルト」などと、自分の現在地を記録する事から書き始めている。だが、こんな時にそんな余裕や必要が一体どこにあると言うのか? これ自体がもう完全に不自然なのだが、その上ご丁寧にも、なぜ自分が今から錯乱状態に陥るかの状況説明までをもしている。しかしこんな状況でいちいちそんな習慣的な手順を踏みながら日記を書き始める人間などいるだろうか? そのような真似は、むしろ事件を嘆き悲しむ事よりも、それを記録する事の方が最優先されているような人間でなければ、つまりプロのジャーナリストが仕事でもしているような状況でなければ、絶対に出来ない行為なのではないだろうか?

しかもこの箇所は、奇妙な事に、最初にタルノフスキーが公表したテキストの中にはなかったのである。実はこれは、ずっと後になってから、ショパンの直筆として新たに出て来た全文資料の中で初めてお目見えしたものなのだ。要するに、元々タルノフスキー版は断片ごとの抜粋記事でしかなかったため、その各々の文章の繋ぎ目を何らかの形で補完しなければ、その直筆資料の全文を世に提出できなかったのだ。だからこれは、そのために後世の人間が後付けで書き足した可能性が極めて高い。だからこそ、このように、文字通り“取って付けたような”説明セリフになっているのである。

 

この説明セリフをもう少し掘り下げて考察してみよう。

要するに、この書き手はここで、「ワルシャワ陥落」のニュースをこの時点で初めて知ったと説明している訳だが、そんな事は現実的にあり得ない。それでは、この書き手は、実際にはその第一報を一体いつ、どこで、どのような経緯で入手したのだろうのか? ここではそこまで詳しく説明してくれてはいないが、いずれにせよ、この書き手はホテルの自室でこれを書いているのだから、外出時に入手して来たか、あるいは部屋にいる間に誰かがそれを告げに来たか、当時の通信事情からそのどちらかしかない。

そうすると、いずれにせよ当然の事ながら、この書き手が「ワルシャワ陥落」のニュースを知ってから日記を書き始めるまでの間に、確実にそれなりの時間が経過していなければならないはずなのである。

実は、そのタイムラグこそが問題なのだ。

仮にそのニュースを外出中に知ったのなら、そこから部屋に戻って日記帳に向かうまでの間に、一体どれだけの時間が経過し、そしてその間に、当人は一体どれだけの思いを巡らせていた事か? また、訪問者によって知らされたのなら、その知人が退散して日記帳に向かうまでの間に、一体どれだけの時間が経過し、そしてその間に、当人は一体どれだけの思いを巡らせていた事か? 現実的に考えれば、実際はその間の時間こそが、当人が最も錯乱した状態にあった時間だったはずだ。だとすれば、ようやく一人になって日記を書き始めるに至った頃には、すでに事件に対するリアクションは全て事後報告にしかならないはず。それなのに、ここで展開されているのは、どう考えても事件を知った直後でしかあり得ないようなリアルタイムの錯乱状態なのだ。

この不自然な現象をどう説明したらいいと言うのか?

本来この日記に書かれているような錯乱状態は、ニュースを知ったその時点で瞬間的に当事者の頭の中を駆け巡っていなければならないはずのものだろう。だがその時には、当人は外出中だったり来客中だったりで日記を書ける状況にはなかった。となるとこの書き手は、ニュースを知った直後に沸き起こっていたはずのそれらの妄想を、多かれ少なかれしばし時間が経過した後に、あくまでも日常的な習慣として日記帳に向かってから、それでいて、あたかもそれがリアルタイムで思い浮かんでいるかのように、切々と自分の心理なり錯乱状態なりを“再現”して見せていた事になる。

だがそんな事は現実にあり得ないだろう。それはもはや日記の執筆ではない。完全に創作行為である。

つまりその執筆動機はもはや、純粋に事件を嘆き悲しむ事ではなく、それを何らかの意図で記録する事以外にない。そうでなければ、このような文章は絶対に生まれ得ず、したがってこの文章は、どう考えても「現実の日記の文章」としては成立しないのである。

実際、古今東西において、この「シュトゥットガルトの手記」のような文体の日記が現実に存在した実例はない。ある訳がないからである。

 

更に言うと、ワルシャワがロシア軍によって陥落したのは[183198]の事だが、その第一報がシュトゥットガルトに届くまでに、当時、少なくとも10日くらいはかかっていたのである。

     たとえば前年11月に蜂起が勃発した際には、その知らせがウィーンに届いたのは6日後以降の事だった。そうすると、シュトゥットガルトともなれば更にそこから45日はかかる。

つまり、ショパンがシュトゥットガルトで受け取るニュースは、常に、すでに10日も前の出来事になってしまっていると言う事だ。すでに10日も経っている話など、現時点では一体どのように状況が変化している事だろうか? つまりそれが当時の人々の感覚なのである。

それなのにこの書き手は、まるで昨日の出来事を今日聞いたかのように直情的にリアクションし過ぎる。その情報にしても、第一報にしてはあまりにも正確で詳細過ぎるし、そのくせ情報源も明らかにせず、しかもこの書き手は、それらの情報を最初からそのまま無批判に受け入れ過ぎる。あたかも、それが歴史的事実である事を予め知っているかのようだ。実際はあらゆる事が半信半疑な状況のはずなのに、もう最初から自分で全てを最悪の事態に決め付け、端から家族の無事を祈る事など放棄し、身内という身内を全員「モスクワの悪党」に殺させ、そして、その勝手な妄想だけを根拠に事件を嘆き悲しむと言う、実に奇妙な精神状態で日記を書き綴っている。まるで、「モスクワの悪党」どもとはそうであるべきだと言わんばかりの決め付けぶりなのだ。

ちなみにこの書き手は、これだけ大騒ぎしておきながら、あとで家族や友人達が皆無事だった事を知っても、それについては何も日記に書き記していないのである。あれほどのショック状態にあっても尚日記を書く習慣を堅守したような人間が、なぜそのような喜ばしいビッグ・ニュースの方は素通りなのか?

このような不自然で非現実的な日記が、どうしてこの世に産み落とされ、そして公然と存在しているのか? その答えは、これを書いた人間の目的や動機を探れば簡単に説明がついてしまう。

 

要するにそれは、“憎きロシアの蛮行を世界に向けてプロパガンダする事”、それが全てであり、それ以外の何ものでもない。だからこそ、家族の無事を祈る事よりもロシアの蛮行をでっち上げる事の方が大切なのである。

そんな人間がショパンである訳がない。

 

この書き手の日記執筆の動機付けにまるで筋が通っていないのは、この日記が、明らかに後世の国粋主義者の都合でしか書かれていない創作文だからだ。

そのためにショパンの世界的な人気と名声が政治的に利用されたのである。

ショパン以外に、そのような利用価値のある人間がポーランドにはいないからだ。その事は、他でもないタルノフスキーが自分でそのように解説してしまっているのである。

 

 

以上は、一般常識に照らして考えた場合の私見である。

この先は、更に私の個人的見解を交えてこの手記の徹底検証を行なっていくつもりであるが、その前置きとして、私がこれを贋作と考える具体的根拠を、取り急ぎ「物的証拠」となり得る3点を抜き出して簡単に説明しておきたいと思う。

 

1.      【グワトコフスカの件】

ここには、ショパンの恋愛対照として「彼女」=コンスタンツヤ・グワトコフスカが出てくるが、そもそもその逸話はカラソフスキーによる捏造である。したがってショパンがそんな事を書くはずがない。その点に関してはウィーン時代の「マトゥシンスキ贋作書簡」と同じで、要するにこれも「嘘の話が流用された創作文」と言う事になる。ショパンが本当に恋していたのは、幼友達でもあったアレクサンドリーヌ・ド・モリオール伯爵令嬢であり、それは本人がハッキリそう手紙に書いている事なのだ。だがその事実は、長い間カラソフスキーの作為的な編集によって闇に葬られていた。熱狂的な国粋主義者であるカラソフスキーは、ショパンの実像を捻じ曲げて革命派として描くべく、モリオール家のようなロシア側にいた保守派との親交の事実をことごとく削除していた。そしてカラソフスキーの思惑通り、誰もが彼の捏造した恋愛話を信じ、微塵も疑おうとしなかった。それは現在においても同じである。そのせいで、後に公表された「ヴォイチェホフスキ書簡」の「写しの原文」との、その明らかな矛盾に対して誰一人まともな答えが出せず、その結果、あろう事か、ショパンの「真実の恋」の方を「身代わり」扱いにしてしまった。だが実際のショパンはグワトコフスカには恋していない。したがってこれがショパンの書いたものである訳がないのである。

念のため言っておくと、この「彼女」がモリオール嬢を指している可能性はない。なぜなら、モリオール嬢は大公と直接親交があったのだから、そんなVIPクラスの保守派女性にロシア兵が手出しするはずもなく、それぐらいの事はショパンなら当然分かっているからだ。

2.      【パスポートの件】

ここには、「来月をもって、僕のパスポートの有効期限が切れる」とあるが、それは、カラソフスキーが「家族書簡・第9便」に加筆改ざんした誤った情報に基づいており、しかもこれは完全な「説明セリフ」である。すでに家族宛の手紙で報告済みの話を、なぜここで再び、わざわざ自分の日記に向かっていちいち説明する必要があるのか? しかも前々回も検証した通り、その話自体が事実ではない。なぜならショパンの「パスポート」はもはや前年にワルシャワで取得したものではないからだ。それはウィーンの警察で紛失させられてしまい、現在所持しているのはウィーンで新しく申請し直したものだ。したがって「来月」「有効期限が切れる」なんて事になる訳がない。つまりこの手記を書いた人物は、ここでも嘘の話を参考文献として用いてしまっているのである。

3.      【ピアノの件】

ここには、ピアノの前で心の苦しみを吐き出し」云々と書かれているが、そんな事は現実にあり得ない。なぜなら、この手記は、不特定多数の人間が宿泊するホテルの一室で書かれており、その上「ピアノ」「ここで」弾いているとあるが、そもそも旅の途中の一時的な宿でしかないホテルの個室に、「ピアノ」など置いてある訳がないからだ。たとえばこれが現代であれば、超高級ホテルにでもなればグランドピアノ付きのスイートだってあるにはあるが、仮にショパンの時代にそんなものがあったとしても、ただでさえ貧乏旅行で四苦八苦していた無名時代のショパンが、そんな高価な部屋に泊まる訳がない。実際その証拠に、1829年のウィーン初訪問の際に、ショパンが急遽演奏会をするよう促された時の事を思い出して欲しい。その時ショパンは、「僕はまだその事を真面目に考えていなかったが、“この2週間、僕は一つの音符さえ弾いていません。だから選ばれた批評眼のある市民の前に現れる準備ができていません。”と返事した」と、ヴォイチェホフスキ宛の手紙にそう書いていただろう。つまりショパンは、ワルシャワを発ってからウィーンに着くまでの道中、その2週間」の間全くピアノに触れてもいなかったのである。当然だろう。旅の途中で宿泊するホテルにいちいちピアノなど置いてないのだから。その翌年のウィーン時代も、ショパンは到着後の最初の1週間ほどはホテルに仮住まいしながらアパートを探し、部屋が決まって引っ越した後に初めて楽器製造者「グラーフ」からピアノを送ってもらっていた。つまり、仮住まい中のホテルにはピアノなど置いてなかったし、置いてもらうよう手配もしていなかったと言う事だ。このように、ショパンの行く先々に必ず「ピアノ」があると思ったら大間違いなのだ。

ちなみに、当時ヨーロッパ中を演奏旅行して回っていたリストには、次のようなエピソードがある。「そんなリストが愛用していたのが三オクターブの無音鍵盤。音はでないけれど、持ち運びがかんたん。当時はいまみたいにホテルの部屋でもピアノが練習できる、なんてことはなかったので、「巨匠」も大いにこれを活用。移動中も馬車のなかでこの鍵盤を使ってひたすら練習していたのかもしれません。」(『ピアノを読む本』(株式会社ヤマハミュージックメディア)より)

なぜこの贋作者がショパンの個室に無理やり(そして安易に)「ピアノ」を置いたのか、その理由はハッキリしている。それはカラソフスキーが、ショパンがこの地で「ワルシャワ陥落」の知らせを聞いて≪革命のエチュード▼≫を作曲したと書いていたからだ。だからショパンはシュトゥットガルトのホテルでピアノを弾いていたはずだと、勝手にそう思い込んでしまったのである。だがショパンはピアノなどなくても作曲ぐらいできる。音楽家ならそれぐらいの事は常識だが、そうでない人にはその程度の事も分からない。つまり、この手記を書いたのが誰であれ、その人物は少なくとも音楽家ではない。実際タルノフスキーは音楽家ではないのだ。

 

このように、カラソフスキーがショパンをポーランド的に美化する目的で捏造した数々の逸話と言うのは、後世の贋作者が再利用するのに格好の元ネタとなっている。それは彼らが全く同じ目的を持ってショパンを政治利用しているからこそなのだ。

ちなみに、カラソフスキーの伝記にはこの手記(日記)は出てこない。また、これが書かれているアルバムについても触れられていない。もしもそんなアルバムが存在していたのなら、あのカラソフスキーがそれを放っておく訳がないだろう。カラソフスキーが知らないと言う事は、生前のイザベラがそれについて何も語らなかったと言う事である。

 

実際、このアルバムはショパンの遺族ルートで出て来たものではない。

それでは、一体何処から出て来たのか?

次回はその事について徹底検証したい。

 

[2013年1月18日初稿 トモロー]


【頁頭】 

検証12-2:このアルバムは何処から出て来たのか?

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