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検証11:第2回ウィーン紀行と贋作マトゥシンスキ書簡――

Inspection XI: The journals of the second Viena's travel & the counterfeit letters to Matuszyński from Chopin -

 


5.贋作マトゥシンスキ書簡、その3―

  5. The counterfeit Matuszyński letter, part 3 -

 

 ≪♪BGM付き作品解説 マズルカ 第6番▼≫
 

今回紹介するのは、ショパンがウィーンに到着してからマトゥシンスキ宛に書いた手紙のうち、3番目に書かれたとされているものである。

まずはカラソフスキー版による手紙を読んで頂きたい。文中の*註釈]も全てカラソフスキーによるもので、改行もそのドイツ語版の通りにしてある。

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ書簡・第3便)■

(※原文はポーランド語)

「ウィーン、

1831年元旦

最も親愛なる人よ、

今君は、君の欲しいものを手に入れた。君はその手紙を受け取ったかい? そのいずれかを届けてくれたかい? 僕はまだ自分のした事を後悔している。僕は甘い希望に満たされていたが、今は疑念と不安に悩まされている。おそらく彼女(※グワトコフスカの事)は僕を軽蔑するか、さもなくば笑うだろう! おそらく――おお、彼女は僕を愛しているだろうか?と、僕の鼓動する心臓が訊ねる。汝、役立たずのアスクラピウスよ、君は劇場でオペラ・グラスを手にして、彼女から眼を離さなかったではないか! もしもそうなら、いまいましい奴だ……君は僕の信頼を軽んじないでくれたまえ。でも僕はただ僕自身のために書いているだけだ;君には骨を折る値打ちもないよ。今じゃ君は、僕の考えている事は全て知っている。君が、君の旧友のロストフスキ、シューフ、フライエル、キエフスキ、そしてフーベらと一緒に僕の部屋にいる時に、僕が君と楽しげに過ごしていると想像してくれたまえ、しかし、ああ! 僕はここで君に手紙を書いていると、とても奇異な感じがする。僕にはまるで、僕が君と一緒にいるようかのに思われ、周りに見えるものや聞こえるものが全て夢に過ぎないように思われる。僕の耳に馴染まない声の数々は、車輪の音でなければ何かつまらぬ物音のように感じられる。君の声やティトゥスの声は僕を昏睡から目覚めさせる事ができるのだ。今日の僕にとっては、生も死もどうでもよい事だ。僕の両親には、こうした事を少しも話さないでくれたまえ。僕が素晴らしく元気で、不足なものは何もなく、楽しく暮していて、少しも淋しく感じていないと話してくれたまえ。彼女が僕の事を笑っていたら、彼女にも同じ事を話してくれたまえ。だが、彼女が親切に僕について訊ね、僕の事を気にかけているようだったら、心配しないように囁いて、僕が彼女の側を離れていつも孤独で不幸だと告げてくれたまえ。僕は健康ではない、でも僕の両親には言わないでくれたまえ。僕の友人達は皆、何が僕を悩ませているのかと訊く;それで僕は時々、“気質なんだ”と言うが、本当は何が問題か、君は知っている。

もしもそこが平穏なら、僕は来月の終りにパリヘ行くつもりだ。ここでは娯楽には不自由しないが、でも僕はめったにそれに参加しない。メルクと言う、ウィーンで第一流のチェリストが僕を訪問する約束をした。今日は11日だ。ああ、僕にとって何て嘆かわしい年の初めだろう! 僕は心から君を愛している。出来るだけ早く手紙を書いてくれたまえ。彼女はラドムにいるのか? 君は砦を造ったか? 僕の両親が気の毒だ! 僕の友人達はどうしている? 僕は君達のために、君達の誰かのために死にたい。なぜ僕はここに留まり、有罪判決を宣告されたように淋しく見捨てられているのか? こんな恐しい時勢でも、君達は一緒にいてお互いに慰め合う事ができる。君のフルートは十分に悲しむ事ができるだろう! 僕のピアノは自身でどうやって泣くのだ!

君は、君の連隊と一緒に戦場へ行くと書いていた;どうやって手紙を(彼女に)転送するつもりか? 使者には託さないでくれたまえ;気を付けてくれ! 僕の両親が――彼らが誤解するかもしれない。

僕はもう一度君を抱擁する。君は戦争に行こうとしている;大佐になって帰って来たまえ。全てが上手く行くように! なぜ僕は、せめて君の鼓手になれないのだ? この取り留めのない手紙を許してくれたまえ、僕は全く酔っ払ったみたいになっているから。

君の忠実な

フレデリックより」

*目の粗い紙2枚に書かれたこの手紙は、両親宛の手紙の中に封入してあったもので、それは封包に入れずに軽く封じてあっただけだ。フレデリックは宛名の下に、姉妹達に宛てて次の言葉を書いておいた。「封を破らないように、それから、老婆のごとく詮索しないようにお願いします」

モーリッツ・カラソフスキー『フレデリック・ショパン、その生涯、作品と手紙』(※ドイツ語原版・初版)

Moritz Karasowski/FRIEDRICH CHOPIN, SEIN LEBEN, SEINE WERKE UND BRIEFEVERLAG VON RISE & ERLER, BERLIN 1877)、

及び、モーリッツ・カラソフスキー著・エミリー・ヒル英訳『フレデリック・ショパン、彼の生涯と手紙』(※英訳版・第3版)

Moritz Karasowski translated by Emily Hill/FREDERIC CHOPIN HIS LIFE AND LETTERSWILLIAM REEVES BOOKSELLER LIMITED 1938)より  

 

前回と同様に、この手紙もショパンが書いたものでない。完全にカラソフスキーの創作だ。

 

それでは、一つ一つの文章について検証していこう。

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#1■

「ウィーン、

1831年元旦」

 

まず日付について。

ショパンがウィーン時代に家族宛(エルスネル宛も含む)に書いた手紙は、その日付が全て「水曜日」「土曜日」に限られている(例外は緊急の報せの1通のみ)。この事実については既に前回も説明した通りで、したがって前回の「マトゥシンスキ書簡」の日付はあり得ないものだった。

ところが、今回はきちんと「土曜日」に書かれている(※下図参照)。

 

183012月−18311

11/28

 

11/29

蜂起

11/30

1

4便

2

 

3

 

4

5

news

6

 

7

8

9

 

10

 

11

12

 

13

14

 

15

 

16

17

18

19

 

20

 

21

 

22

5便

23

 

24

 

25

 

26

贋作2

27

贋作2

28

贋作2

29

 

30

 

31

 

1/1

贋作3

 

しかしながらこれは、単なる偶然に過ぎないのではないかと思われる。

と言うのも、カラソフスキーが当時のウィーンの郵便局の配送事情を知らなかった事は前回にも説明した通りであり、したがって今回カラソフスキーが意図的に「土曜日」を選んだとは考えられない。今回に関しては、カラソフスキーは単に贋作書簡の日付を「元旦」に設定したに過ぎず、それがたまたまこの年は「土曜日」だったと言うだけの話なのだと思われる。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#2■

「最も親愛なる人よ、

今君は、君の欲しいものを手に入れた。君はその手紙を受け取ったかい? そのいずれかを届けてくれたかい? 」

 

この書き出しも、「現実の手紙の文章」として極めて不自然なもので、こう言うのはつまり、芝居やドラマなどでよく使われる「説明セリフ」と言うものなのである。

まず、これは前回の手紙の以下の部分に呼応している。

僕が自分で彼女に手紙を書こう、それに、実のところ、僕が耐えている苦悩から逃れるためにも、ずっと以前にそうするべきだったのだが、でも僕の手紙が他人の手に渡るような事にでもなったら、彼女の評判を傷付けはしないだろうか?」

つまり、前の手紙で予告していた事を結局行動に移し、その由をマトゥシンスキに説明していると言う体で書かれてはいるが、しかし実際は、ショパンがマトゥシンスキに説明しているのではなく、これはカラソフスキーが読者に向かって説明している文章なのである。

分かりやすく補足すると、以下のような感じになる。

「今君は、僕が君宛に書いた手紙とコンスタンツヤ宛に書いた手紙を手に入れた訳だ。君はその手紙を受け取ったかい? そしてコンスタンツヤ宛の方を彼女に届けてくれたかい?」

 

だからこそ、「手紙を受け取ったかい?」などと言う、「手紙の文章」としてあり得ない表現が平気で飛び出すのだ。

そもそも手紙に「手紙を受け取ったかい?」なんて書くバカがいるのだろうか? 受け取ったからこそ読んでいるのに、その読んでいる相手に向かって「手紙を受け取ったかい?」なんて…。こう言うのは、いかにもカラソフスキーらしい作文である。

これが、フィクション世界でのみ用いられる会話法、いわゆる「説明セリフ」と言うものだ。

 

もちろん実際には、ショパンがグワトコフスカに横恋慕していた事実もなければ、その彼女に手紙を書いていた事実もないし、だから手紙をマトゥシンスキに託していた事実もない。

もしもあれば、このようにいちいち「そのまんま」わざとらしく説明しなくても、ちゃんとそれらしいニュアンスが行間から読み取れるものなのである。最初から何もないからこそ、カラソフスキーはどこかでその設定について「そのまんま」説明しなければならない訳で、それをここでしていると言う事なのだ。

 

     ちなみに、非常に奇妙な事に、この手紙には3種類のバージョン違いがあり、そのうちの一つには、冒頭に「僕は、22日付の君の手紙を受け取った」と付け加えられているものがある。これもおかしな話だが、これについては後述する。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#3■

「僕はまだ自分のした事を後悔している。僕は甘い希望に満たされていたが、今は疑念と不安に悩まされている。おそらく彼女(※グワトコフスカの事)は僕を軽蔑するか、さもなくば笑うだろう! おそらく――おお、彼女は僕を愛しているだろうか?と、僕の鼓動する心臓が訊ねる。」

 

こう言うのも、単なる妄想でしかない。

ショパンはこのように、妄想や空想だけで勝手に物事を決めつけるような思考回路の持ち主ではない。

必ず事実に即した事しかコメントしないのである。

ショパンの想像力と言うものは、作曲においてしかその能力を発揮しないから、文章を書くのも手紙に限られ、日記や手記の類を書く習慣もない。

そう言った点においては、ショパンの文筆習慣はモーツァルトやベートーヴェンと全く同じなのだ。

そして、言うまでもなく手紙と言うものは、必ず特定の、しかも親しい個人を相手にした会話文なのである。

したがってその文章は、当事者同士にしか分からない話で構成される事が大前提となり、決して不特定多数の部外者が読む事を前提とした小説のような文章にはならない。だからそこに「説明セリフ」が含まれるなど論外である。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#3■

「汝、役立たずのアスクラピウスよ、君は劇場でオペラ・グラスを手にして、彼女から眼を離さなかったではないか! もしもそうなら、いまいましい奴だ……君は僕の信頼を軽んじないでくれたまえ。でも僕はただ僕自身のために書いているだけだ;君には骨を折る値打ちもないよ。今じゃ君は、僕の考えている事は全て知っている。」

 

この箇所は、カラソフスキー以降の何者かが捏造した「マトゥシンスキ贋作書簡・第1便」でも流用アレンジされていたものだ。

「ウィーン時代のマトゥシンスキ書簡」と言うものは、カラソフスキーが最初に発表した2通を基にして、後世においてそれこそ贋作を競い合うように捏造され続けてきた。

どうしてそのような現象が「ウィーン時代のマトゥシンスキ書簡」に限って頻発しているのか?

それは、ショパンの贋作書簡を捏造する人間と言うのが、一人の例外もなく国粋主義的目的を持った人間であるためだ。

だからこそ、カラソフスキーが贋作した国粋主義色の強い手紙にのみ興味を示して飛び付き、そこに更に自分なりに色を付けたくなるのである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#4■

「君が、君の旧友のロストフスキ、シューフ、フライエル、キエフスキ、そしてフーベらと一緒に僕の部屋にいる時に、僕が君と楽しげに過ごしていると想像してくれたまえ、」

 

これも完全に「説明セリフ」である。

前にも書いたが、当事者同士にとって、ここに列挙された人物達のプロフィールなどいちいち書くまでもない事のはずだ。それなのに、それをわざわざ「君の旧友の」などと書いてしまっている。そんな事は当人同士なら言うまでもなく分かり切っているはずなのにだ。

こんな不自然な話し方をする人間は現実にはいない。

たとえば、あなたが親友同士で会話している時に、誰かもう一人別の親友について話すのに、いちいち“友達のAがさあ…”などとは言わないだろう。単にAがさあ…”としか言わないはずだ。

こう言うのは全て、フィクション世界の登場人物に特有の「説明セリフ」と言うものであり、この文章が、最初から不特定多数の部外者に読ませる事を前提として書かれている何よりの証拠なのである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#5■

「しかし、ああ! 僕はここで君に手紙を書いていると、とても奇異な感じがする。僕にはまるで、僕が君と一緒にいるようかのに思われ、周りに見えるものや聞こえるものが全て夢に過ぎないように思われる。僕の耳に馴染まない声の数々は、車輪の音でなければ何かつまらぬ物音のように感じられる。君の声やティトゥスの声は僕を昏睡から目覚めさせる事ができるのだ。今日の僕にとっては、生も死もどうでもよい事だ。」

 

これも単なる妄想、独り言の類でしかない。

ショパンは文通相手にこのような独白じみた事を決して書かないし、稀にそれらしい事を書いたとしても、ほんの一言で仄めかす程度にしか書かない。

そしてここでも、ショパンのマトゥシンスキに対する友情が過剰に演出されており、完全にヴォイチェホフスキと同等の扱いで描かれている。

だが、何度も説明してきたように、ショパンとマトゥシンスキが本当に親しくなるのはパリ時代以降の話で、高等中学校を卒業してからこの時期にかけては、特に、この2人はお互いに進路をたがえていたために疎遠ですらあったのである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#6■

「僕の両親には、こうした事を少しも話さないでくれたまえ。僕が素晴らしく元気で、不足なものは何もなく、楽しく暮していて、少しも淋しく感じていないと話してくれたまえ。彼女が僕の事を笑っていたら、彼女にも同じ事を話してくれたまえ。だが、彼女が親切に僕について訊ね、僕の事を気にかけているようだったら、心配しないように囁いて、僕が彼女の側を離れていつも孤独で不幸だと告げてくれたまえ。僕は健康ではない、でも僕の両親には言わないでくれたまえ。僕の友人達は皆、何が僕を悩ませているのかと訊く;それで僕は時々、“気質なんだ”と言うが、本当は何が問題か、君は知っている。」

 

結局、この手紙に書かれている事は、終始こういった類の妄想ばかりなのである。

何度でも言うが、ショパンはこんな事は決して書かない。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#7■

「もしもそこが平穏なら、僕は来月の終りにパリヘ行くつもりだ。ここでは娯楽には不自由しないが、でも僕はめったにそれに参加しない。」

 

この箇所も不自然である。

ショパンは10日前に書いた「家族書簡・第5便」で、

「僕は近いうちにイタリアヘ行くべきでしょうか、それとも待ちましょうか?*おそらく、半島に広がっている騒動について言及している] 親愛なるパパ、どうかあなたと親愛なるママの希望を僕に知らせてください。」

と書いていたのではないのか?

そして今頃ワルシャワの両親は、その手紙に対して返事を書いている頃で、その返事がウィーンのショパンの許へ届くのがここから更に1週間後ぐらいになると言うのに、その返事も待たずに自分で勝手に「来月の終りにパリヘ行く」などと決めてしまっている。

おまけに「このショパン」は、4日前に出したマトゥシンスキ宛の手紙でも、

「君は、僕がザクセンの宮中からミラノの摂政女皇に送る手紙を持っている事を知っているが、しかし僕はどうするのが一番良いだろうか? 僕の両親は僕の希望に任せているが、むしろ僕に指示して欲しい。パリへ行こうか? ここの友人達は、僕にウィーンにいるようアドバイスする。それとも家へ帰ろうか、それともここに留っていようか、それとも自殺してしまおうか、それとも、もう君に手紙を書くのをやめようか? どうすべきか僕にアドバイスしてくれたまえ。どうか、いつも僕に大きな影響力を持つワルシャワのある人に聞いてくれたまえ。彼女の意見を伝えてくれたまえ、僕はそれに従おう。」

などと書いていたのではないのか?

そしてその手紙は、今頃はまだヴロツワフあたりにいてワルシャワにすら届いていない頃だが、やはりその返事も待たずに「来月の終りにパリヘ行く」などと決めてしまっている。こんなのどう考えてもおかしいだろう?

もはや自分が前の手紙に何を書いていたのかすらも覚えていない始末なのだ。

この頭の悪さはショパンのものか? 違うだろう。カラソフスキー以外の何者でもないだろう。

こんなのは、実際の当事者が書いていたら絶対にあり得ない記述なのである。

カラソフスキーの妄想の中だけで全てが回っているからこそ、現実の郵便事情も完全に無視され、そしてその内容自体も支離滅裂なのだ。

 

ちなみに、ショパンが「パリへ行く」考えを持つのは、この時点では「マトゥシンスキ贋作書簡」にしか書かれておらず、「家族書簡・第5便」には書かれていなかった。

その考えは、次回紹介する「エルスネル書簡」(129日付)で初めて仄めかされる。

と言う事はつまり、ショパンが両親に「僕は近いうちにイタリアヘ行くべきでしょうか、それとも待ちましょうか?」と聞いていた事に対して、ようやく届いた両親からの返事にその由が書かれていた可能性が高い。

したがって、この時点でショパンが「パリへ行く」考えを持っていたはずがなく、明らかにカラソフスキーが「未来人の視点」で先走りして書いている事が分かる。 

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#8■

メルクと言う、ウィーンで第一流のチェリストが僕を訪問する約束をした。」

 

この手紙の中では、唯一この箇所だけが事実に即した具体的なコメントである。

しかし残念ながら、やはりこれにしても不自然なのである。

なぜなら、この「メルク」については、ショパンは前々回の「家族書簡・第5便」において、次のように書いていたからだ。

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、ワルシャワの家族へ(第5便)■

「スラヴィクは、実に、偉大なまた才能あるヴァイオリニストです。僕がメルクと会った時には、僕達は三重奏曲をやる事が出来るでしょう。僕は近日中にメシェッティ(メヘッティ)家で彼に会える事を望んでいます。」

 

ユゼフ・メルク(Joseph Merk 17951852)は、ショパンがのちに《序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》▼を献呈する事になるチェリストであるが、このように「家族書簡」では、彼の肩書について「ウィーンで第一流のチェリスト」だとは書いていなかった。

なぜなのか?

実は書いてないのも当然で、なぜならショパンは、「メルク」とは1829年のウィーン初訪問の際に既に知り合いになっていたからだ。したがって、当然ショパンの家族にとっても「メルク」は既知の人物だったからなのである。

それは以下の手紙で確認できる。

 

■ワルシャワのフレデリック・ショパンから、

ポトゥジンのティトゥス・ヴォイチェホフスキへ(1829912日付)■

「僕は一日で、ウィーンにいる全ての偉大な芸術家達と知り合いになった;その中には、マイセダー、ギロウェッツ、ラハナー、クロイツェル、シュパンツィッヒ、メルク、レヴィがいる。」

 

つまり、ショパンはワルシャワに帰国後、この「メルク」についての話題を家族にもしていたと言う事で、その際に、当然「メルク」「ウィーンで第一流のチェリスト」である事を話してあった訳だ。だから、もうわざわざここでそれを書かなくても通じると言う事なのである。

 

であればだ、当然、同じようにワルシャワにいたマトゥシンスキだって、直接ショパンから「メルク」については聞かされていたはずだろう。

ショパンとマトゥシンスキは、ショパンのウィーン初訪問から1年以上もの間ワルシャワで共に時を過ごし、カラソフスキーの設定ではヴォイチェホフスキと同等の友情を育んでいた事になっているのだから、ショパンがウィーンでの出来事をマトゥシンスキにも洗いざらい話していないなんて、どう考えてもあり得ないだろう。

だとすれば、「家族書簡」と同じように、マトゥシンスキ宛の手紙でも「メルク」と書くだけで通じるはずなのである。つまり、わざわざ「メルクと言う、ウィーンで第一流のチェリストなどと言う肩書までいちいち書く必要はないと言う事だ。

それなのに書いてあるのはやはり不自然であり、したがってこれは、明らかに余計な「説明セリフ」だと言う事になるのである。

 

このように、カラソフスキーが手紙の信ぴょう性を高めようとして書き込んだ史実が、却って墓穴を掘る結果になると言う例は今までも多々あった訳だが、これもまたそうである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#9■

今日は11だ。ああ、僕にとって何て嘆かわしい年の初めだろう! 僕は心から君を愛している。出来るだけ早く手紙を書いてくれたまえ。」

 

最初の日付に「元旦」と書いておきながら、またここでわざわざ11日」とか念押しをしているのも、実は最初から、「何て嘆かわしい年の初めだろう!」と書きたかったからこその日付設定だったからで、その事が見え見えになってしまうほどあざとい感じのする文章だ。

 

日付の事でついでに言うと、「このショパン」は、たった4日前にマトゥシンスキ宛に手紙を出したばかりなのである。

前回も説明したが、その手紙に対する返事がウィーンに届くまで、少なくとも2週間は見なければならないのだ。

つまり、4日前に出した手紙はまだワルシャワへすら届いていない状況で、「本物のショパン」ならそれぐらいの事は先刻承知である。それなのに「このショパン」は、前の手紙の返事を待つ事もせずにもう新しい手紙を書き始め、そして「出来るだけ早く手紙を書いてくれ」などと催促している事になる。

だが、前の手紙から4日経っていながら、この手紙の内容の薄っぺらさは一体どうだろうか?

前の手紙では、「僕は今日、再びマルファッティの所へ行くつもりだ」と書いていたが、それに関する事後報告もなく、この4日間にあったはずの日常生活が「メルク」の事以外何も記されていない。

あるのはただひたすら独りよがりな妄想だけだ。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#10■

「彼女はラドムにいるのか? 」

 

前にも説明した通り、グワトコフスカはワルシャワに生まれ育っている。

そして今のところ、彼女に関する公的資料からは、彼女と「ラドム」を結びつけるものは何も出てきていない。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#11■

「君は砦を造ったか? 」

 

こんな間抜けなセリフを書くやつはいないだろう。

もしもマトゥシンスキが「砦を造った」のなら、それはすなわち今彼が戦場にいると言う事だろう。

「このショパン」は、その戦場にいるマトゥシンスキ宛に手紙を書いている事になる訳だが、しかしこの後に続く記述は全て、あくまでもマトゥシンスキがワルシャワの家にいる前提で書かれているではないか?

それに、そもそもそれ以前の問題として、マトゥシンスキは軍医として「ポーランド・ロシア戦争」に参加するのである。

それがどうして「砦」の建造などすると言うのか?

カラソフスキーは「家族書簡・第5便」において、すでに登場済みのマトゥシンスキに対し、いかにも思い付きで格上げの設定変更をしたかのように、以下の念入りな注釈を与えていた。

*ヤン・マトゥシンスキは1809129日にワルシャワに生れ、高等中学校ではショパンの学友で、また最も親しい友人の一人であった。彼は医学を研究し、1830年の自由のための戦争中は軍医の任命を受けた4年後に栄転してチュービンゲンに赴き、そこからパリヘ出て、再びショパンに会った。彼は不幸にも、過度の勉強のため1842年に亡くなったが、その時は医学々校の教授であった

つまりカラソフスキーは、マトゥシンスキが「軍医」として「ポーランド・ロシア戦争」に参加していた事(※これは一応事実のようであるが)をちゃんと知っているのである。

それなのに、どうしてその「軍医」「砦」など造らせているのか?

おそらく、これを書いているカラソフスキー自身が、1863年に起きた「ワルシャワ蜂起」には参加しておらず、現実のショパンと同じように逃げ腰で外国に亡命しているため、彼は実際の戦争体験がないからなのだろう。

だから彼は、非戦闘員である軍医の仕事が何なのかすらよく分かっておらず、その結果として、このような頓珍漢な事が平気で書けてしまえるのだろう。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#12■

「僕の両親が気の毒だ! 僕の友人達はどうしている? 僕は君達のために、君達の誰かのために死にたい。なぜ僕はここに留まり、有罪判決を宣告されたように淋しく見捨てられているのか? 」

 

ここでも、ショパンを好戦的な革命支持者として描こうとしている意図が見え見えである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#13■

「こんな恐しい時勢でも、君達は一緒にいてお互いに慰め合う事ができる。君のフルートは十分に悲しむ事ができるだろう! 僕のピアノは自身でどうやって泣くのだ!」

 

マトゥシンスキが「フルート」を吹く事に関しては事実である。

だが、このような記述は、やはり芝居がかった小説的表現であり、無理やり「ピアノ」を持ち出してきて結び付けるあたり、いかにも読者が望むショパン像と言うものを紋切型になぞっているようにしか見えない。

これも、いかにもカラソフスキーの筆致と言った文章だ。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#14■

「君は、君の連隊と一緒に戦場へ行くと書いていた;どうやって手紙を(彼女に)転送するつもりか? 使者には託さないでくれたまえ;気を付けてくれ! 僕の両親が――彼らが誤解するかもしれない。

僕はもう一度君を抱擁する。」

 

これも、贋作書簡に特有の「グワトコフスカ押し」であるが、こんな現実味のない話を誰が信じると言うのだろうか?

そもそも「カラソフスキーの伝記の中のショパン」は、マトゥシンスキ宛の手紙は姉達に託して手渡してもらっている事になっているのではないのか?

と言う事は、必然的にグワトコフスカ宛の手紙もそこに同封されている事になる訳だ。

すると、マトゥシンスキが「戦場」に行った後はどうなると言うのか?

それでもまだ姉達に「戦場」まで出向いてもらってマトゥシンスキに手渡してもらうつもりなのか?

あり得ないだろう。

更に「このショパン」は、マトゥシンスキが「戦場」に行っても尚、グワトコフスカ宛の手紙は直接マトゥシンスキがグワトコフスカに手渡してくれるようにと頼んでいる事になる訳だが、そんなバカな話があるか?

毎度の事ながら、こんな無茶苦茶な事をショパンが書く訳がない。

これがカラソフスキーの創作でなくて、一体何だと言うのだろうか?

 

ちなみに、前回の贋作書簡では、「君が戦争に行く前に、もう一度消息を聞かせてくれたまえ」とあったから、おそらく今回の「君は、君の連隊と一緒に戦場へ行くと書いていた」と言うのは、その前回の手紙に対してマトゥシンスキから返事が来ていたと言う設定で、すなわちその返事に書かれていた「消息」と言う事なのだろう。

つまり、今回もまた、たったの4日で「ウィーン⇔ワルシャワ間」を手紙が一往復しているのである。

この超常現象については前回説明した通りなので省くが、断じてあり得ない事だ。

     したがって、冒頭に「僕は、22日付の君の手紙を受け取った」と付け加えられている別バージョンの手紙は、明らかにこの記述と矛盾している事になる。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#15■

「君は戦争に行こうとしている;大佐になって帰って来たまえ。全てが上手く行くように! 」

 

またこれだ。

言うまでもなく、「軍医」と言うのはあくまでも非戦闘員なのだから、それがどうして「大佐」になれると言うのか?

カラソフスキーは、かつて「コシチウシュコの反乱」において、単なる浮遊外国人のニコラを「大尉」にまで仕立て上げたりもしていたが、とにかくいちいち発想が安易すぎるし、何よりも軍務関連の事に関して無知すぎる。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#16■

「なぜ僕は、せめて君の鼓手になれないのだ? 」

 

これも同様で、非戦闘員である「軍医」のための「鼓手」など存在する訳がない。

カラソフスキーは、ショパンが軍医に向かって太鼓を叩きながら、“負傷兵の手当てガンバレーっ!”とか言わせようとでも言うのか?

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#17■

「この取り留めのない手紙を許してくれたまえ、僕は全く酔っ払ったみたいになっているから。

君の忠実な

フレデリックより」

 

「酔っ払ったみたいになっている」のは、ショパンではなくカラソフスキーだろう。

したがってこんな「手紙」など断じて許す訳にはいかないのである。

 

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(ウィーン時代のマトゥシンスキ贋作書簡・第3便)#18■

*目の粗い紙2枚に書かれたこの手紙は、両親宛の手紙の中に封入してあったもので、それは封包に入れずに軽く封じてあっただけだ。フレデリックは宛名の下に、姉妹達に宛てて次の言葉を書いておいた。「封を破らないように、それから、老婆のごとく詮索しないようにお願いします」

 

仮に、このカラソフスキーの注釈通りだったとすれば、今回のこの「マトゥシンスキ書簡」は、同じ日付の「家族書簡」に同封されていた事になる訳だ。

ところが、その「家族書簡」の方に関しては、カラソフスキーは上記の注意書き以外何一つとしてその内容について触れていない。

仮にショパンが「元旦」付の家族書簡を出していたのだとすれば、それは前回の「第5便」から10日後に書かれている事になり、10日もあればそれなりに書く事はあったはずである。それなのにカラソフスキーは、その内容については全く何もコメントしていない。これは挙動不審と言わざるを得ない編集態度だろう。

つまりそこから考えられる事は、

1.      最初からそのような手紙など存在していなかった。

2.      あるいは、「マトゥシンスキ贋作書簡」の嘘がバレそうな内容なので敢えて黙殺した。

大方こんなところなのではないだろうか?

 

更に、どうしてカラソフスキーがここでこんな出鱈目な注釈をもっともらしく付け加えたのかと言うと、その理由もはっきりしている。

前にも説明した通り、これらが「両親宛の手紙の中に封入してあった」事にしておけば、カラソフスキーが伝記を書き始めてから1年後に勃発した「ワルシャワ蜂起」の際に、ショパン家で保管されていた「家族書簡」もろともロシア兵に焼かれてしまった事にできるからだ。

そうすれば、どんな出鱈目な贋作書簡を捏造しても、それらは既に証拠隠滅済みなので、絶対に嘘がバレる事がないと踏んだからなのである。

だが、カラソフスキーの嘘にはあまりにも穴がありすぎる。ド素人の小説みたいにツッコミどころが多すぎる。

根本的に「手紙の文章」になっていない事はもちろんだが、それを差し引いても、「独白小説」としての出来の悪さは目を覆いたくなるほどだ。

よくもこんなものが今まで、いや未だにであるが、「本物のショパンの手紙」として世界中で信じられているのか不思議でならない。

だが、そもそも音楽関係者なんて連中は専門バカの集まりなので、音楽に関してはそれはそれは詳しいのかもしれないが、いかんせん一般的な常識が欠落している人間が多い。

私自身がそうだからよく分かる。

そして、音楽と言うもの自体がそもそも抽象的なものであるが故に、それに関連した事柄についても現実と妄想の区別がまるでつかないのだ。これは音楽と言う芸術の性質上、ある意味仕方のない事でもある。言うなれば、音楽にのめり込めばのめり込むほど現実世界から乖離していかざるを得ない部分があるからだ。あらゆる芸術関係者のうち、音楽関係者ほど道を誤って薬物に行き着く確率が高いのもそのせいだ。

だから、カラソフスキーごときの嘘にすら何の疑問も抱く事なく、いとも簡単に騙されてしまうのである。

 

いい加減、我々は目を覚まさなければならない。

 

 

結局、今回と前回の「マトゥシンスキ贋作書簡」2通でカラソフスキーが何をしたかったのかと言えば、彼はとにかくショパンをポーランド的に美化し、尚且つ好戦的な革命支持者に仕立て上げたかったのだと言うのがよく分かるだろう。

それこそが、カラソフスキーが、「ショパンの手紙に望みながらも決して得られないもの」だったからだ。

だからこそ、このような贋作書簡を捏造する事でしかその不満を払しょく出来なかったと言う事なのである。

だから、その目的を果たしてしまった今、これ以上新しい「マトゥシンスキ書簡」を贋作する必要もなくなり、それ以上に既に「ネタ切れ」状態になってしまったので、このたった2通で終わっているのである。

この手紙自体が、前の手紙と内容も趣旨も似たり寄ったりなのがそのいい証拠で、それはそのまま、カラソフスキーの発想の貧困さを物語るものでしかない。

 

 

 

     ちなみに、この手紙には3種類の別バージョンがあるのだが、そのうちの一つには、以下のような追伸部分が書き加えられている。

「ヴィルトは最も優れた歌手であり、ポルコフスキではない。僕は個人的に彼を知っている。スラヴィクは素晴らしい;僕らはしばしば一緒に演奏する。メルクは今、彼のチェロを持って僕を訪ねると約束したところだ。僕は君に、いかなる歌曲も送れない。仲間達を抱擁してくれたまえ。マグナス、アルフォンス[ブラント]、レインシュミット、デュマス、ヴィリスらにキスを。僕はマルツェリに手紙を書くつもりだ。僕に手紙を書いてくれたまえ、ヤーシャ! 僕らはいつおしゃべり出来るのだろう! 僕は君を愛している;君も僕を愛してくれたまえ。僕はまるで酔っぱらっているかのかのように書いている。

アドレス:ヤーシャへ。

信用しているから、僕はそれを封印すらしないよ。子供達よ! 全ての友人達に、君の姉妹と君のお父さんに。」

 

     「ヴィルト」の話も「スラヴィク」の話も、既に過去の手紙に書いた事をただお座なりになぞっているだけ。

     「アルフォンス」「マルツェリ」らのファースト・ネームについても、ショパンは彼らの事をヴォイチェホフスキ宛の手紙の中ですら「ブラント」「ツェリンスキ」と言う風に苗字で書いていたので、これもあり得ない。それについては既に説明した通りである。

     「アドレス:ヤーシャへ」と言う、ショパンが姉妹達に手紙の託送を頼む際の例の宛名書きが、これもやはりポーランド語で書かれている。ショパンの時代の手紙は宛名書きをフランス語で書くのが習慣だったので、これもあり得ない。この事についても既に説明した通り。

     また、この「子供達よ!」の用法も、「パパとママ」が併記されていないのでショパンのものではない。

このように、どれもこれも安易すぎるだろう。

 

 [2012年8月20日初稿 トモロー]


【頁頭】 

検証11-6:エルスネル書簡から分かるカラソフスキーの嘘

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