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検証9:ヴォイチェホフスキ書簡・第2期――

Inspection IX: The letters to Wojciechowski, Part II -

 


14.何故ショパンの出国は延期されているのか?―

  14. Why is the departure of Chopin postponed?-

 

 ≪♪BGM付き作品解説 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ(ピアノ独奏版)▼≫
 

今回紹介するのは、「ヴォイチェホフスキ書簡・第16便」である。

まずはカラソフスキー版による手紙を読んで頂きたい。文中の*註釈]も全てカラソフスキーによるもので、改行もそのドイツ語版の通りにしてある。

 

■ワルシャワのフレデリック・ショパンから、

ポトゥジンのティトゥス・ヴォイチェホフスキへ(第16便/カラソフスキー版)■

(※原文はポーランド語

1830922日、ワルシャワにて

僕は最初に、僕がまだここにいる理由を説明しなければならない。過去2週間の間、ドイツの至る所で起きている騒乱のために、父が僕の出発に反対したのだ;ライン川地方、ダルムシュタット、ブラウンシュバイク、カッセル、それにサクソニーでは、すでに新しい王が王位に就いた。ウィーンでは、食物取引についての暴動が起きていると報告されている。僕は、彼らが何を要求しているのかは知らないが、彼らがそれをめぐって戦っているのは確かだ。チロル地方でも同じように騒動が起きていて、一方イタリアでもそれらが勃発しそうで、それで僕らは、刻一刻と重大な何かが伝えられるだろうと予想している。僕は、まだ旅券の申請はしていないが、オーストリアかプロシア行の一枚だけは得られるだろうと思っている。イタリアとフランスは考えも及ばず、幾人か、あるいは全ての人がパスポートを拒否されたのを、僕は知っている。僕はおそらく、数週間のうちに、クラクフ経由でウィーンヘ行くつもりで、と言うのも、僕はそこを覚えているし、それに、人は、鉄が熱いうちに打たなければならないからだ。

Pは昨日、僕と一緒にいた;彼は明日早く出発するので、僕は今日、僕の2番目の協奏曲のリハーサルをフル・オーケストラ(トランペットとケトルドラム(※ティンパニ)を除く)でやる事にして、君(への土産話)のために、それに彼を招待した。彼は、君に全てを話す事ができるだろうし、最も小さな詳細が君に興味を起こさせるだろう事も分かっている。君がここにいないのが非常に残念だ;クルピンスキ、ソリヴァ、そして音楽界のエリートが出席するだろうけど、しかし僕はエルスネルを除いて、彼らの意見をあまり信用していない。僕は、バンドマスター(※クルピンスキ)がそのイタリア人(※ソリヴァ)をどう思うか知りたいものだ;チャペックはケスレルを;フィリッベウスはドブルヅィンスキを;モルスドルフはカチンスキを;ルドーはゾルティックを;Pは我々全体をだ[*モルスドルフとカチンスキ(チェリスト)、ルドーとびゾルティック伯爵(ヴァイオリニスト)は、いずれもワルシャワでは立派なアマチュア・ミュージシャンである。]。今まで、これらの紳士全員を一つの所に集めた人はいなかった;僕は好奇心からそうするよ。

僕自身の気持ちを落ち着かせる事ができない時に、このような日に手紙を書かなければならないのは非常に残念だ。自分の事を考えると気も狂わんばかりになり、それでしばしば物思いに沈んで歩き回り、ややもすると(馬車に)轢かれそうになって、実際、昨日もそんな事が起こりかけた。教会で僕の理想の人を一目見た時、僕は幸福な麻痺状態に陥って、慌てて外へ飛び出し、我に返るまで15分かかってしまった。僕は時々、自分の混乱状態が怖くなる。僕は、ちょうど作曲したばかりのつまらぬものをいくつか君に送りたいが、しかし今日書き上げられるかどうか分からない。

こんなあわただしく君に手紙を書くのを許してくれたまえ、でも僕は、エルスネルがリハーサルに出席するのを確認するために彼の所へ急がなければならない。それから僕は、昨日すっかり忘れていた弱音器と譜面台を見付けなければならなくて、あれがないとアダージョ(第2楽章)は何にもならない。ロンド(最終楽章)は効果的で、それと最初のアレグロ(第1楽章)は力強い。途方もない自己愛だ! だが、それを僕と共有する責任のある者がいるとすれば、それは君だ。君はエゴイストだ、君のような人間と一緒に暮らして、誰が君のように成長しないでいられようか。しかしながら、僕は以下の点で似ていない;僕は迅速に決定する事ができない。それでも、どんなに泣こうが悲しもうが容赦なく、僕は来週の土曜日に出発する決心をした。トランクの中に音楽を収め、僕の胸にいつものリボンを結び、心は不安で一杯ながらも、僕は郵便馬車で出発する。もちろんコペルニクスから泉まで、また堤防からシギスムンド王の円柱に至るまでの町は、涙に溢れる事だろう! しかし僕は、石のように冷めたく無感覚になって、僕にそのような優しいさよならをしたがっている人達みんなを笑うだろう……」

モーリッツ・カラソフスキー『フレデリック・ショパン、その生涯、作品と手紙』(※ドイツ語原版・初版)

Moritz Karasowski/FRIEDRICH CHOPIN, SEIN LEBEN, SEINE WERKE UND BRIEFEVERLAG VON RISE & ERLER, BERLIN 1877)、

及び、モーリッツ・カラソフスキー著・エミリー・ヒル英訳『フレデリック・ショパン、彼の生涯と手紙』(※英訳版・第3版)

Moritz Karasowski translated by Emily Hill/FREDERIC CHOPIN HIS LIFE AND LETTERSWILLIAM REEVES BOOKSELLER LIMITED 1938)より 

 

 

それでは、今回の「ヴォイチェホフスキ書簡」も、その内容をオピエンスキー版と比較しながら順に検証していこう。

       オピエンスキー版の引用については、現在私には、オピエンスキーが「ポーランドの雑誌『Lamus.1910年春号」で公表したポーランド語の資料が入手できないため、便宜上、ヘンリー・オピエンスキー編/E.L.ヴォイニッヒ英訳『ショパンの手紙』Chopin/CHOPINS LETTERSDover PublicationINC))と、「フレデリック・ショパン研究所(Narodowy Instytut Fryderyka Chopina)▼」と言うサイトに掲載されているポーランド語の書簡資料とを照らし合わせながら、私なりに当初のオピエンスキー版の再現に努めた 

       カラソフスキー版との違いを分かりやすくするために、意味の同じ箇所はなるべく同じ言い回しに整え、その必要性を感じない限りは、敢えて表現上の細かいニュアンスにこだわるのは控えた。今までの手紙は、本物であると言う前提の下に検証を進める事ができたが、「ヴォイチェホフスキ書簡」に関しては、そもそも、これらはどれもショパン直筆の資料ではないため、真偽の基準をどこに置くべきか判断がつきかね、そのため、「ビアウォブウォツキ書簡」等と同じ手法では議論を進められないからである。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#1.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

1830922日、ワルシャワにて」

1830922日、水曜日の朝 ワルシャワにて」

 

まず日付についてだが、前回の「第15便」は918日」なので、今回はそれから4日後である(※下図参照)。

 

18309

 

 

 

1

2

3

 

4

14便

5

 

6

 

7

8

 

9

10

 

11

 

12

 

13

 

14

15

 

16

17

18

15便

19

 

20

21

 

22

16便

23

 

24

25

 

26

 

27

28

 

29

30

 

 

 

 

 

ショパンは「第12便」で「来月のある日(10日)に出発する」と書き、そして「第13便」でも「僕は、次の週には本当に出発するつもりだが、その事で僕を信じてくれていいよ;それは9月の事で、明日はその1日(ついたち)だからね」と書いていた。

 

今回の2週間と言うのは、ショパンとヴォイチェホフスキが相手からの手紙を受け取ってそれに返事をする場合の最短のペースである。

カラソフスキー版では削除されているが、実はショパンはこの手紙を書くに当たって、ヴォイチェホフスキから、前回の「第14便」の返事を受け取っていたのである。

また、カラソフスキーは今回の日付から「水曜日の朝」と書かれている部分を削除しているが、実は、この削除には非常に深い意味がある。それについては、このあとの記述と照らして説明していこう。

 

 

さて、今回も、カラソフスキーは以下の冒頭の挨拶を削除している。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#2.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「我が最も親愛なる生命よ!」

 

これまでショパンは、「第12便」に書かれていたポトゥジン訪問以降、4通連続でヴォイチェホフスキの事を「偽善者」呼ばわりしていたが、それが今回は収まっており、通常通りになっている。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#3.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「僕は最初に、僕がまだここにいる理由を説明しなければならない。」

「僕は、なぜ僕がまだここにいるのかを君に説明する機会が持てた。」

 

細かい事だが、今回の手紙は郵便で送られるのではなく、ワルシャワを訪れている「P」ことポレティウ伯爵に託して直接ヴォイチェホフスキに手渡ししてもらう手はずになっている。それについては前回以下のように書かれていた。

「いずれにせよ、ポドヴァレ通りで偶然に会った伯爵から受け取った手紙への(僕の返事)を、その肥えた体を動かして僕達の家に(取りに来る)と約束してくれているから、これが君に最も良く説明してくれる事だろう。」

なので、ショパンはその事に対して「機会が持てた」と言っているのだが、カラソフスキー版ではそのニュアンスが消されてしまっている。

 

実は、このポレティウ伯爵は、過去の「ヴォイチェホフスキ書簡・第2便」にも一度登場していて、その時は「P」と言うイニシャルすら示されずに言及されていた。

「マックスが、君と君のママの健康についてのニュースをもたらしてくれたよ、彼がワルシャワに着いた翌朝にね。彼は大学に行く途中で、僕に会うために駆け込んで来て、フルビェショフ(※ウクライナとの国境近くに位置する)について非常に熱心に話していた。彼の説明のうちいくつかは称賛に値したな、たとえば、パリから戻って来た君の隣人についてとかね。」

この「フルビェショフ」と言うのがポレティウ伯爵家の領地がある群で、すなわちここで「君の隣人」と書かれているのがポレティウ伯爵の事だったのである。

ヴォイチェホフスキ家の領地ポトゥジンも、ポレティウ家の領地も、ウクライナとの国境近くに隣接している地域で、ヴォイチェホフスキは将来、自分の義父となるポレティウ伯爵から「フルビェショフ郡ポデゥホルツェ村とゴズデゥフ村」を相続している。

 

私は以前、ワルシャワ時代に書かれた「ヴォイチェホフスキ書簡」は全て、当時の郵便局の都合で必ず「火曜日」「土曜日」に書かれており、今回の「第16便」だけが例外的に「水曜日」であると説明した(※下図参照)。

 

ワルシャワ時代のヴォイチェホフスキ書簡の日付

1828

1

9/9

2

12/27

1829

3

9/12

4

10/3

5

10/20

6

11/14

1830

7

3/27

8

4/10

9

4/17

10

5/15

11

6/5

12

8/21

13

8/31

14

9/4

15

9/18

16

9/22

水曜日の朝

17

10/5

18

10/12

 

すなわち、この手紙だけが例外だったのは、これが正規の郵便で送られたのではなく、ポレティウ伯爵に託して直接手渡してもらう事を前提に書かれていたからだったのである。そして、さらにこれが「朝」に書かれていた理由もそこにある訳なのだが、それについてはこの後でもう一度詳しく説明しよう。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#4.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「過去2週間の間、ドイツの至る所で起きている騒乱のために、父が僕の出発に反対したのだ;」

「過去2週間の間、ドイツの至る所で起きている騒乱のために、僕が旅行する事を父が望まなかったのだ。」

 

ここも細かい事だが、カラソフスキー版の方が、「父」の意向が強く強調されている。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#5.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「ライン川地方、ダルムシュタット、ブラウンシュバイク、カッセル、それにサクソニーでは、すでに新しい王が王位に就いた。ウィーンでは、食物取引についての暴動が起きていると報告されている。僕は、彼らが何を要求しているのかは知らないが、彼らがそれをめぐって戦っているのは確かだ。」

「ライン川地方は挙がってないが、サクソニーではすでに別の王が即位し、ダルムシュタット、ブラウンシュバイク、カッセル等々、僕らが聞いたところでは、ウィーンでは何千人もの人々が小麦粉について不満を言い出したそうだ。小麦粉の何が悪かったのか僕は知らないが、そこで何が起きているかは知っている。」

 

ここも細かい事だが、カラソフスキー版では「食物取引」となっているが、オピエンスキー版ではもっと具体的に「小麦粉」と特定されている。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#6.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「チロル地方でも同じように騒動が起きていて、一方イタリアでもそれらが勃発しそうで、それで僕らは、刻一刻と重大な何かが伝えられるだろうと予想している。」

「チロル地方でも同じように騒動が起きている。イタリアでも勃発しそうで、モリオールが僕に話したところでは、彼らはいつでもこの手のニュースを予想して待っているのだそうだ。」

 

ここで「モリオール」と書かれているのは、いつもの「モリオール嬢」の事ではなく、彼女の父親であるモリオール伯爵の事であるが、カラソフスキーは、この文章からそのモリオール伯爵の存在だけを削除している。

ここからも、カラソフスキーが、いかにこのモリオール家の人々が気に入らなかったかが分かるだろう。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#7.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「僕は、まだ旅券の申請はしていないが、オーストリアかプロシア行の一枚だけは得られるだろうと思っている。イタリアとフランスは考えも及ばず、幾人か、あるいは全ての人がパスポートを拒否されたのを、僕は知っている。」

「僕は、まだ旅券の申請はしていないが、オーストリアとプロシア行の一枚だけは得られると人々が僕に話している。イタリアとフランスは考えても無駄で、幾人かの人が全くパスポートを拒否されたのを僕は知っている;」

 

ここもそうだが、オピエンスキー版では、ショパンの出発が延期されているのは、周りの人々からもたらされる様々な情報を鑑みての事であるのが分かるのだが、しかしカラソフスキー版ではそう言った事がことごとく省略されており、あたかも全てがショパン一人の考えであるかのように書き換えられている。

したがって、以下の重要な一言の削除も作為的なのである。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#8.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

しかし、間違いなく僕にはそんな事は起こらないだろう。

 

「幾人かの人」が旅券の発行を拒否されていると言うのに、なぜショパンは、自分だけは大丈夫だと思っているのか?

それは、彼の場合、有力者が裏で手を回してくれる手はずになっているので、そのような事を心配する必要がなかったからなのである。

それはつまり、ロシア当局ともつながっている有力者がショパンの味方をしてくれているという事に他ならない。

たとえば、モリオール家などは、コンスタンチン大公の子供の家庭教師をしていた。コンスタンチン大公は、当時ワルシャワを支配していたロシア皇帝ニコライ二世の兄で、ポーランド総督だった。そして、かつてショパンが御前演奏会に出演してコンスタンチン大公からダイヤの指輪をもらったのも、そんなモリオール家の後ろ盾があったればこそだった。

たとえば他にも、コンスタンチン大公とつながっている有力者には、銀行家の「ヴァレリー・スカルジンスキ」などもいて、ショパンは彼とも懇意にしている。

また、ロシア側にだって、ショパンのプロ・デビュー公演の際にウィーン製のピアノを貸してくれた「ディアコフというロシアの将軍」のような「親切」な人物もいる。

おそらく今回、ショパンに旅券の手配をしてくれたのもそんな人達だったはずで、だとすれば、ヴォイチェホフスキは当然その事を知っていたはずである。

となれば、その情報はカラソフスキーにも伝えられ、その結果カラソフスキーは、そう言った人物達の名を今回の手紙からも消してしまう事になるだろう。たとえば先ほどの「モリオール」のようにだ。

要するに、国粋主義者であるカラソフスキーは、そんなモリオール家を国賊くらいに思っていて、だからショパンが彼らと懇意にしているのが気に入らなかったのだ。

つまり、なぜヴォイチェホフスキなりカラソフスキーなりが、ショパンが本当に片思いをしていた「モリオール嬢」の存在を認めたがらなかったのか?と言うと、正にそう言った事が理由で、だから彼らは、ショパンに架空の「理想の人」をあてがう事で、「モリオール嬢」の存在を事実よりも低い位置に貶めたかったのだ。

カラソフスキーにしてみれば、ロシア側と通じている「モリオール嬢」が、ショパンの初恋の相手として歴史にその名を残すなど、とうてい我慢ならなかったに違いない。

 

この手紙を検証していて改めて思ったのは、ヴォイチェホフスキらは、ショパンとの同性愛疑惑を揉み消す事よりも、むしろそっちの動機の方が遥かに強かったのだろうな…という事である。

 

【追記】

実際、ショパンがウィーンに着いてから家族宛に書いた1830121日付の手紙には、ショパンがウィーンの著名人や大使に会うために、コンスタンチン大公からの紹介状をもらってきていた事が書かれていた。要するにこう言った取り計らいは、全てモリオール伯爵家やスカルジンスキ家のお陰なのである。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#9.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「僕はおそらく、数週間のうちに、クラクフ経由でウィーンヘ行くつもりで、と言うのも、僕はそこを覚えているし、それに、人は、鉄が熱いうちに打たなければならないからだ。」

「僕はおそらく、数週間のうちに、クラクフ経由でウィーンヘ行くつもりで、と言うのも、そこの人達は今も鮮明に僕はを覚えてくれているし、だから僕はその事を有利に運ばなければならない。」

 

カラソフスキー版では、ショパンが極めて現実的な言い回しをしているのを、かなり綺麗ごとなニュアンスに変えている。

この「クラクフ経由でウィーンへ」と言う旅程は、前回の手紙でも書かれていた。

 

 

次の箇所もカラソフスキー版では削除されている。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#10.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「僕(の言う事)にも、僕の両親(の言う事)にも驚かないでくれたまえ;それが物語(事件)の全部なのだ。」

 

なぜカラソフスキーがこの箇所を削除したのか?

ショパンは前回の手紙で以下のように書いていた。

「いずれにせよ、ポドヴァレ通りで偶然に会った伯爵から受け取った手紙への(僕の返事)を、その肥えた体を動かして僕達の家に(取りに来る)と約束してくれているから、これが君に最も良く説明してくれる事だろう。」

つまりショパンは、自分の出発が延期されている本当の理由をこの手紙で説明すると約束していて、尚且つ「恋愛問題」はその理由には含まれないとも書いていた。

今回の説明を読めば、なるほどこれは「恋愛問題」など取るに足らない、国際的な政治情勢のせいだった事が分かる。

だが、カラソフスキーの伝記では、それだけが延期の理由では困るので、ショパンに「それが物語(事件)の全部なのだ」と断言させる訳にはいかなかったのだ。

とにかくカラソフスキーのショパン伝では、ショパンは「理想の人=グワトコフスカ」に思いを残し、その事に後ろ髪を引かれているからこそ出発の決心が鈍っている…と言う設定になっているからである。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#11.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「Pは昨日、僕と一緒にいた;彼は明日早く出発するので、僕は今日、僕の2番目の協奏曲のリハーサルをフル・オーケストラ(トランペットとケトルドラム(※ティンパニ)を除く)でやる事にして、君(への土産話)のために、彼をそれに招待した。彼は、君に全てを話す事ができるだろうし、最も小さな詳細が君に興味を起こさせるだろう事も分かっている。君がここにいないのが非常に残念だ;クルピンスキ、ソリヴァ、そして音楽界のエリートが出席するだろうけど、しかし僕はエルスネルを除いて、彼らの意見をあまり信用していない。僕は、バンドマスター(※クルピンスキ)がそのイタリア人(※ソリヴァ)をどう思うか知りたいものだ;チャペックはケスレルを;フィリッベウスはドブルヅィンスキを;モルスドルフはカチンスキを;ルドーはゾルティックを;Pは我々全体をだ[*モルスドルフとカチンスキ(チェリスト)、ルドーとびゾルティック伯爵(ヴァイオリニスト)は、いずれもワルシャワでは立派なアマチュア・ミュージシャンである。]。今まで、これらの紳士全員を一つの所に集めた人はいなかった;僕は好奇心からそうするよ。」

        ほぼ同じだが、細かい事を言うと、「彼は明日早く出発する」のところが「彼は明日とても早く出発する」になっている。

 

この「P」については、前回の「第15便」においてシドウが以下のように註釈していた。

[原文ではイニシャルだけで記されている。これは、ティトゥス・ヴォイチェホフスキの妻となる、ポレティウ伯爵家の伯爵の兄弟の1人。オピエンスキーはこの名前をポロフスキという架空の人物でもって復元した。]

シドウが註釈している通り、この「P」「ポレティウ」のイニシャルだと言う事は、この手紙と前回の手紙とを照らし合わせればはっきりと判明する事である。

そして前回と同様、どう言う訳かオピエンスキーの英訳版では、またしてもここはイニシャルではなく「ポロフスキ」と言う名前(姓)があてがわれている。

オピエンスキーはヴォイチェホフスキの遺族からこの手紙の「写し」を借り受けているのだから、それなりに文中の関係者については事実確認も取れるはずなのだが…(しかも、ヴォイチェホフスキの妻の実家の伯爵家である)。したがってこれは奇妙だと言わざるを得ない。

いずれにせよ、オピエンスキーが、必ずしも「ヴォイチェホフスキ書簡」をありのままの形で読者に伝えようとしていないと言う事実がよく分かるだろう。

 

また、今回の手紙は「水曜日の朝」に書かれているのだが、なぜ「朝」だったのかと言うと、その理由を説明しているのがこの箇所なのである。

いつもなら、ショパンは郵便局の発送時刻に合わせて夕方の5時までに手紙を書いていた。しかしこの手紙はポレティウ伯爵に託す事になっており、そしてその事は前回の手紙を書いていた時点ですでに分かっていた事だった。だから、いつものように「火曜日」「土曜日」の午後5時までに書き上げねばならないと言う制約はなかったのだが、しかしその代わり今回は、ポレティウ伯爵の都合に合わせなければならなかったと言う事なのである。

つまり、「彼は明日とても早く出発する」事になっているので、本来なら今日中に書き上げればよかったはずなのだが、ところがショパンは、「今日、僕の2番目の協奏曲のリハーサルをフル・オーケストラ(トランペットとケトルドラム(※ティンパニ)を除く)でやる事にして、君(への土産話)のために、彼をそれに招待した」ので、手紙を書いている暇がなかった。

だから、どうしても今日の「朝」以外に書く時間が取れなかったのである。「朝」のうちに書き上げて、それをリハーサル時にポレティウ伯爵に手渡さなければならなかったのだ。

 

 

続く以下の箇所は、カラソフスキー版ではごっそり削除されている。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#12.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「最新の外交上のニュースは、前フランス領事のデュラン氏がフィリップ[*ルイ・フィリップ] (※同年にフランスで起きた「7月革命」によって擁立された国王)に抗議してロシアン・サービスに入りたがっていたが、フランスに呼び戻されたと言う事で、昨日彼のところに新しい三色旗(※フランス国旗の事)の領事が到着したが、外交官でさえまだその人の名前を知らないんだ。また、そこには新しいバス歌手のボンダシエヴィツもいて、すでに2回、シュチュロフスキの代わりに《トルコ人》と《理髪師》に出て、彼自身を愚か者に仕立て上げると言う不幸を演じた。ある人が言う限りでは、声はそれほど悪くないが、ある人は彼には才能がないと。彼はかなり音程を正しく歌い、その事が、彼が第一ポーランド劇場に出演するのを楽長が許可しなければならなかった唯一の理由のようだ。君はこのボンダシエヴィツについて知らなければならない、彼は、我々市民はブリンド(※イングランドのヨークシャーにこの名の村落があるが、それを指すのかどうかは不明)にコンバートしていて、バンドとボンバシエヴィツ(※原文まま)は一度に地方の聴衆を喜ばせている(※駄洒落だろうか?ここは意味不明)。彼が付いて来られないので、我々はみんなテンポを落とさなければならないほど、ここでの彼は悪い。おそらく、彼はまだ訓練を受けるだろう、彼は若い。シュチュロフスキが病気だったので、この男が彼の代理を勤めたのだ。幸運にも、彼は回復したので、おそらく日曜日に《マグパイ》に出演するだろう、その時、クルピンスキの指揮の下で、グワトコフスカ嬢が《アナシア》か何かを歌うだろう。この事が、2年か3年のうちにイタリア人(※ソリヴァ)が楽長の仕事を得る事の妨げにはならないだろう、と言うのも、クルピンスキはサンクト・ペテルブルクである職に就こうと試みているからで、彼が内緒で僕に打ち明けてくれたんだ。グワト(コフスカ)嬢が《マグパイ》に出演した後、ヴォウクフ嬢が《理髪師》(※=《セビリアの理髪師》に出演する事になっているが、僕はどちらも見ないだろう

 

さて、この箇所には、「第12便」で初めて「理想の人」として註釈された「グワトコフスカ嬢」が、3通ぶりに登場している。

今回もやはり、あくまでも音楽関連のニュースの一環として報告されているだけであり、この記述から、ショパンの彼女に対する個人的な感情は微塵も読み取れないし、しかもこの話は、すでに「第13便」で以下のように書かれていたのと全く同じである。

「グワトコフスカは、もう少ししたら《マグパイ》(※=《盗人のエルステル=泥棒かささぎ》に出演する事になっている。だが、この“もう少ししたら”と言うのは、僕が国境の向こうに行った後を意味する。もしそうなれば、君は僕に君の意見を話す事ができるよ。彼女の3度目の役は《ヴェストリン》という事になっている。」

おそらく、以前に書いてあった事とほとんど同じ内容なので、カラソフスキーもさほど重要視せず、他の雑多な文章と一緒に削除したのだろう。

 

しかしだ、この箇所におけるグワトコフスカの書かれ方をよく見て欲しい。

たとえば「第13便」でも、名前で書かれずに「もう1人」呼ばわりされていた事があったが、ここでも、2度目は「グワト嬢」と略されて書かれている。

それより何よりも、「僕はどちらも見ないだろう」と書いているが、その事に対して残念がっている様子が全くない。

これが恋焦がれる相手について書かれた文章だと言えるだろうか?

 

 

カラソフスキーの削除は続く。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#13.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「君はヴォイチツキを知っているかい?――いや、知らなかったね、それじゃあ、僕は彼については書かないでおこう。」

 

ちなみに、ここに出てくる「ヴォイチツキ」だが、彼については「第4便」で以下のように触れられていた事があるのだが…。

「ヴォイチツキはロンドンから戻って高等中学校で教えている。」

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#14.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「僕はちょうど、2番目の協奏曲を完成させたところだが、最初に音楽を学び始めた頃より前であるかのように僕は愚鈍(※ラテン語)で、あまりにも独創的なので、僕は最終的に何も学べないだろう。

 

この箇所は、ショパンが2番目の協奏曲」を弾く事の難しさを自ら嘆いているものとして、それを克服するための手段として《練習曲集》を書いたと言う説もある。

ただし、私の考えでは、それは後付の理由としてはありそうだが、着想のきっかけではないと思っている(※それについての詳細は、私の『BGM付き作品解説ブログ/練習曲 第1番 作品10-1』▼で)。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#15.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「僕自身の気持ちを落ち着かせる事ができない時に、このような日に手紙を書かなければならないのは非常に残念だ。自分の事を考えると気も狂わんばかりになり、それでしばしば物思いに沈んで歩き回り、ややもすると(馬車に)轢かれそうになって、実際、昨日もそんな事が起こりかけた。」

2つの思いをまとめる事ができない時に、このような日に手紙を書き始めなければならないのは非常に残念だ。僕自身の場合についてよく考え出すと、僕はしばしば全く放心状態になってしまい、それが僕にとっては残念だ。もしも自分の目の前に興味の惹かれるものがあったら、馬どもが僕を踏みつけても僕にはそいつらが見えないだろう;一昨日、通りで、それに近い事が僕に起こった。」

 

オピエンスキー版にある2つの思い」と言うのは、2番目の協奏曲」に関する問題と、「僕自身」の出発に関する問題の事である。

オピエンスキー版では「一昨日」なのに、カラソフスキー版では「昨日」になっている。なぜかと言うと、オピエンスキー版ではこの話と次の話が別の日の違う話として書かれているのに、カラソフスキー版ではそれを一緒の話として書き換えてしまっているからだ。

 

 

おそらく、以下の部分は、またしてもヴォイチェホフスキによる加筆改ざんだと考えられる。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#16.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「教会で僕の理想の人を一目見た時、僕は幸福な麻痺状態に陥って、慌てて外へ飛び出し、我に返るまで15分かかってしまった。僕は時々、自分の混乱状態が怖くなる。」

日曜日に、教会で予想外の一瞥に打たれ、僕は心地よい麻痺状態に陥って飛び出し、15分ばかり、自分に何が起こったのか分からなかった。パリス医師に会った時、僕は自分の混乱振りをどう説明したらいいか分からず、犬が足元に絡んできて踏んでしまったと嘘を言ったよ。僕は時々、自分が狂ったようで怖くなる。」

       ちなみに、シドウの仏訳版とヘドレイの英訳版選集では、この「予想外の一瞥」[コンスタンツヤ(コンスタンチア)・グワトコフスカからの]と言う註釈が施されている。

 

先ほどの馬車馬に轢かれそうになったと言う話は、オピエンスキー版では「一昨日」の話として書かれていた。この手紙は「水曜日の朝」に書かれているから、「一昨日」とはすなわち月曜日である。だから上記の日曜日に、教会で予想外の一瞥に打たれ」云々のエピソードとは完全に違う話である。

ところがカラソフスキーは、原文の「一昨日」をわざわざ「昨日」に変え、そこにさらに「理想の人」を加筆し、それを「教会」の話と一緒の話にしてしまった。

 

それはなぜか?

 

さて、仮にこの箇所がヴォイチェホフスキによる加筆改ざんであれ、またはショパンの直筆であれ、いずれにせよ、原文には「予想外の一瞥」としか書かれていないのに、カラソフスキーはそれを、「僕の理想の人を一目見た」に書き換えている。

前回の手紙でもカラソフスキーは、ただの「リボン」「僕の理想の人からもらったリボン」に改ざんしていた。

さらに前々回の手紙でも、「僕の全ての宝物(複数形)「僕の宝物(単数形)に改ざんし、そこに*グワトコフスカ嬢に対する愛着を指している]と言う注釈をこじつけていた。

そして今回だ。

つまりカラソフスキーは、元々原文には書かれていない「理想の人」を、ご丁寧にも3通連続で勝手に加筆してのけていたのである。

 

たとえば、もしも今回のこの箇所が、仮にショパンが本当に書いたものだったとしたら、その「予想外の一瞥」はコンスタンツヤ・グワトコフスカのものではなく、アレクサンドリーヌ・モリオール嬢のものであるはずである。

だが、ショパンとモリオール嬢は幼なじみであり、2人は現在でも、それこそごく普通に何度も会っているのだから、「予想外」だろうが何だろうが、目が合ったくらいでこんな状態や状況になる訳がない。したがってこれはショパンが書いたものではあり得ない。

 

ではグワトコフスカではどうか?

 

それもやはり同じ事である。

「第4便」では「半年もの間、黙って忠実に仕えてきた」などと書かれていたが、実際は、ショパンはグワトコフスカとは彼女の家族ぐるみで知り合いであり、ソリヴァの家で催される音楽夜会で何度も会っているし、おまけに普通に会話も交わしているのである。

それにだ、そもそもこのコンスタンツヤ・グワトコフスカと言うのは、ワルシャワで生まれ、そしてワルシャワで育っているのである。

 

「コンスタンツヤ(コンスタンチア)・サロメア・グワトコフスカは、181062日にワルシャワで生まれた(ショパン伝では誤って64日とか10日と記されている)。アンヂェジェイ(1763頃の生まれ)と、ヴェレン(別称ヴィルキン)家のサロメア(17861833年以降)との間の娘である。

ピオトル・ミスウァコフスキとアンヂェジェイ・シコルスキによる、「コンスタンツヤ・グワトコフスカ」に関する20079月の記事

Piotr Mysłakowski and Andrzej Sikorski/Narodowy Instytut Fryderyka Chopina』より

 

一方のショパンも、生まれた翌年にジェラゾヴァ・ヴォラからワルシャワヘ越して来ている。

 

つまりこの2人は、20年間同じワルシャワで生活してきた者同士なのだ。

 

そんな2人が「日曜日に教会で」会ったと言うのであれば、この20年の間に、彼らはそれこそ何度教会で顔を合わせていたか、とてもじゃないが数え切れやしないだろう。

つまりだ、なぜカラソフスキーが2つの別々の話を1つにまとめたのかと言うと、「日曜日に教会」に行くのは当たり前だが、それが「昨日」(つまり火曜日)となれば当たり前ではなくなる…だからそこで誰かに会えば、それが誰であれ「予想外」の出来事になり、上記のエピソードがさほど不自然ではなくなる…。それなら別に「一昨日」(つまり月曜日)のままでも構わなかったはずだが、わざわざそれを「昨日」に変えたのは、その話題を一番ホットなものにしたかったからである。

要するにカラソフスキーは、ここでもヴォイチェホフスキによる加筆改ざんに嘘の上塗りをしてフォローしていたのである。

たとえば、ショパンの自筆原文が、実際は以下のようだったとしたらどうだろうか?

2つの思いをまとめる事ができない時に、このような日に手紙を書き始めなければならないのは非常に残念だ。僕自身の場合についてよく考え出すと、僕はしばしば全く放心状態になってしまい、それが僕にとっては残念だ。もしも自分の目の前に興味の惹かれるものがあったら、馬どもが僕を踏みつけても僕にはそいつらが見えないだろう;一昨日、通りで、それに近い事が僕に起こった。【日曜日に、教会で予想外の一瞥に打たれ、僕は心地よい麻痺状態に陥って飛び出し、15分ばかり、自分に何が起こったのか分からなかった。】 パリス博士に会った時、僕は自分の混乱振りをどう説明したらいいか分からず、犬が足元に絡んできて踏んでしまったと嘘を言ったよ。僕は時々、自分が狂ったようで怖くなる。」

【青文字下線部】をヴォイチェホフスキによる加筆改ざんと見なしてそこを除外して読み通すと、前後の文章が自然につながっている事が分かるだろう。

 

したがって、どう考えても、こんなエピソードは茶番としか言いようがなく、現実味と言うものの全くない作り話でしかあり得ない。

 

 

次の箇所もカラソフスキーの作為がよく分かるものだ。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#17.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「僕は、ちょうど作曲したばかりのつまらぬものをいくつか君に送りたいが、しかし今日書き上げられるかどうか分からない。」

「僕は、僕自身の馬鹿げたものをいくつか君に送りたいが、今日はそれらをコピー(写譜)する時間がない。

 

オピエンスキー版では、曲はすでに出来ていて、ヴォイチェホフスキに送る分の写譜が出来そうにないと書いているのに、カラソフスキー版では、曲そのものがまだ出来上がっていないとしている。

なぜカラソフスキーはわざわざそのように書き換えたのか?

オピエンスキー版から分かる事は、ショパンがヴォイチェホフスキに自作曲を送る時、オリジナルの方ではなく、「コピー(写譜)したものを送っていたと言う事だ。つまり、曲を書き上げたら直ぐにその楽譜を送っていたのではない。オリジナルの楽譜は手元に残して、新たに清書して書き写したものを送っていたと言う事である。おそらくそれは、誰に曲を送る場合でもそうしていたはずで、それは作曲と言うものの作業工程からして間違いなく当然の事である。なぜなら、最初に曲を思い付いてスケッチしている段階の楽譜と言うのは、書いた本人にしか分からないほどラフで、所々に加筆修正なども施されており、とうていそれをそのまま他人に贈れるような代物ではないからだ。現にショパンのそのような自筆譜はいくつも資料として残っており、それらは、多少なりとも音楽に知識のある者が見ても非常に読みづらい。

実際に、たとえばショパンは、1827年に、マトゥシンスキに以下のような伝言を送っていた事があった。

 

■ワルシャワのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワのヤン・マトゥシンスキへ(1827年冬)■

(※原文はポーランド語)

ワルシャワ 1827年冬]

親愛なるヤシ!

僕らがこんなに長い間会っていないなんて、どうなっているんだい?――僕は君が来るのを毎日待っているのに、君は来やしない。僕が君に話したいのは、以下の事なんだ:このところ天気が悪いので、あの変奏曲のピアノ・パートの清書がしたいのだ。そのためには君の写譜が必要なので、明日それを持って来て欲しい。そうしてくれたら、次の日には両方とも君にあげるから。

FF.ショパン

       この「変奏曲」とは、《ピアノとオーケストラのための、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調 作品2》▼の事を指している。

この伝言は、ショパン直筆の原物が写真で残されているので、本物である。

この時ショパンは、マトゥシンスキに渡していた「写譜」の方に、オリジナルにはない変更を加えていたものと思われ、それため「清書」するにあたってそれが必要になったのだと推測される。

これと同様の事は、「ヴォイチェホフスキ書簡・第6便」にも書かれていた。

「エリザ姫は僕の《へ短調のポロネーズ》に夢中で、僕が君の手からそれを取り戻して献呈するのを断れなかった。だから、どうか折り返し郵送してくれたまえ。僕は無礼者と思われたくたいし、かと言って、記憶を頼りにもう一度楽譜を書きたくもないのだ。たぶん元のとは違うものになるからだ。僕が彼女のために毎日あの《ポロネーズ》を弾かなければならない事から、君にもこのお姫様の性格が想像できると思う。変イ長調の中間部が特にお気に入りなんだ。

(中略)

くどいようだが、《ポロネーズ》を早急に送るのを忘れないようお願いするよ。」

ここでは「写譜」とは書かれていないが、ショパンがこれをヴォイチェホフスキに頼んだのは、彼に渡した楽譜以外に清書されたものがなかったからで、だからこの場合も、ワルシャワの自宅にあるオリジナルの方を家族に頼んで送ってもらうと言う選択肢はなかったと言う事だ。したがって、ヴォイチェホフスキに送った楽譜がこの曲の唯一の楽譜だったと言う事では決してない。実際、この《へ短調のポロネーズ》には、初期稿と改訂稿の2つが存在している(※それについての詳細は私の『BGM付き作品解説ブログ/ポロネーズ 第10番 ヘ短調 作品71-3 遺作』▼)。

 

さて、そうすると、これらの事実から照らしても、「第4便」に書かれていた「小さなワルツ」のエピソードが完全に作り話である事が分かるのだ。

「しかし僕には、おそらく不幸な事かもしれないが、すでに僕自身にとっての理想の人がいて、半年もの間、黙って忠実に仕えてきたのだ;僕はその夢を見ながら、僕の協奏曲に含まれるアダージョを構想し、そして今朝、小さなワルツのインスピレーションを受けたので、君に送る。×印に注意してくれたまえ;これは君以外には誰も知らないのだ。僕はどんなにかこのワルツを君に弾いてあげたい事だろう、親愛なるティトゥス。中間部の第5小節で、低音部のメロディがヴァイオリン記号の高い変ホ音まで優先しなければいけない;しかしそんな事は君に書く必要はないだろう、君自身が感じてくれるだろうから。」

お分かりだろう。

この「小さなワルツ」の記述における数々の矛盾点については、私の『BGM付き作品解説ブログ/ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3 遺作』▼の方で詳しく説明してあるが、その曲を「今朝」思い付いたばかりなのに、あの遅筆なショパンが、それをその日のうちに完成させ、それからその日のうちに清書を「写譜」して、その上さらにその日のうちに手紙も書いて、それらをその日のうちに一緒に郵送するなど、絶対にあり得ない話だと言う事だ。何度も説明してきたように、ショパンの時代の郵便物は、定められた曜日の「午後5時」までに郵便局に持ち込まなければならないからだ。

 

したがって、ここでショパンが「僕は、僕自身の馬鹿げたものをいくつか君に送りたいが、今日はそれらをコピー(写譜)する時間がないと書いているのは、先ほども説明したように、今日の彼は、協奏曲のリハーサルをフル・オーケストラでやる事になっていて、しかもこの手紙を託すポレティウ伯爵が「明日とても早く出発する」ため、この手紙ですら今日の「朝」のうちに書き上げてしまわねばならなかったからなのである。

つまり、カラソフスキー版において、なぜ今回の手紙の日付から「水曜日の朝」が削除されていたのかと言えば、こう言った諸事情をもみ消す事によって、カラソフスキーのついた嘘がバレないようにするためだったのである。

 

 

再びカラソフスキー版では削除が続く。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#18.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「イタリア人、リナルディは喜ばれていて、彼に本を送った事に対して君に感謝していたよ。彼が僕に話すには、ベゾブラーゾフが彼からレッスンを受けていて、しかしお金を払うだけで何も学んでいないのだそうだ。僕は、それはヴォウクフ嬢への第1歩だと断言しよう。」

 

これを見ると、この「リナルディ」(※「本」の題名?)絡みの「イタリア人」と言うのは、どうやら、やっぱりソリヴァの事を指しているようだ。

要するに、この「ベゾブラーゾフ」(※この名前からしておそらくロシア人だと思われる)と言う男が、デビュー以来アイドル的人気を博している「ヴォウクフ嬢」とお近付きになりたいがために、彼女の師匠であるソリヴァから歌のレッスンを受けていると言う話らしい。

ショパンがロシア人と普通に交流を持っているらしい事が書かれている箇所は、カラソフスキー版では全て削除されている。

そして、ここでもヴォウクフ嬢の美しさを物語るようなエピソードが紹介されているが、しかし彼女はロシアの貴族の娘であるから、したがってどんなに美しくてもヴォイチェホフスキとカラソフスキーの眼鏡に適う事はなく、たとえその容姿だけが「理想」の条件であったとしても、生粋のポーランド人であるグワトコフスカが選ばれなければならないのである。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#19.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「オルウォフスキの新しいバレエは、音楽に関する限り、非常に良くて、たくさん素晴らしいところがある。その舞台装置は巨大で、したがって、それはいつも取り外さずにある。最初は最悪だったが、2回目は良くなった;3回目について僕は知らないが、そこに王子がいたので、だから更に上手くいったに違いない。ラストの飾りつけは最高だ。それらはひっきりなしに飛び跳ねている。ひどく長くて、終わるのは10時半だ。」

       「王子」 シドウの注釈によると、[コンスタンチン大公]

 

オルウォフスキの「新しいバレエ」については、ここ最近の手紙ではいつも報告されている。

 

これを見ると、[コンスタンチン大公]と言う人物は、ポーランドをロシアの支配下に置きながらも、ポーランド人がこのように自国の文化を発展させようとしている姿を、この時点では好意的に見ていたらしい様子がうかがわれる。

だから当時のワルシャワでは、ポーランド国会などと言うものの開催が認められていたのだし、ワルシャワ音楽院だって新設されたりもしていたのだ。

       しかしポーランド人はこの約2ヵ月後に、そのロシアの支配に対して反乱を起こし、そしてそれが失敗する事によって、それまでロシア側が認めていたそう言ったものまで、ことごとく閉鎖の憂き目に追い込んでしまう事になるのである。

したがって、国粋主義者のカラソフスキーがこの箇所を削除するのは、いつもの事ながら当然の処置なのだ。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第17便#19.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「こんなあわただしく君に手紙を書くのを許してくれたまえ、でも僕は、エルスネルがリハーサルに出席するのを確認するために彼の所へ急がなければならない。それから僕は、昨日すっかり忘れていた弱音器と譜面台を見付けなければならなくて、あれがないとアダージョ(第2楽章)は何にもならない。」

「僕は、今日の手紙について謝罪するよ、でも君はこれ以上(手紙を)もらう事はできない;今日は僕の休日なんだ。また、大学が今日から始まるので、僕はエルスネルとビエラスキ(ビエラフスキ)の所へ飛んで行かねばならず、昨日すっかり忘れていた譜面台と弱音器を確認するのだ。それらがないとアダージョ(第2楽章)はボロボロになってしまうが、僕は実のところ、それが成功するとは思っていないのだ。

 

カラソフスキー版では「ビエラスキ(ビエラフスキ)」(※劇場付きの音楽々長)の存在が消されている。

ちなみに、この「弱音器」については「第10便」でも触れられていた。

 

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#19.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「ロンド(最終楽章)は効果的で、それと最初のアレグロ(第1楽章)は力強い。途方もない自己愛だ! だが、それを僕と共有する責任のある者がいるとすれば、それは君だ。君はエゴイストだ、君のような人間と一緒に暮らして、誰が君のように成長しないでいられようか。しかしながら、僕は以下の点で似ていない;僕は迅速に決定する事ができない。それでも、どんなに泣こうが悲しもうが容赦なく、僕は来週の土曜日に出発する決心をした。トランクの中に音楽を収め、僕の胸にいつものリボンを結び、心は不安で一杯ながらも、僕は郵便馬車で出発する。もちろんコペルニクスから泉まで、また堤防からシギスムンド王の円柱に至るまでの町は、涙に溢れる事だろう! しかし僕は、石のように冷めたく無感覚になって、僕にそのような優しいさよならをしたがっている人達みんなを笑うだろう」

        若干表現やニュアンスは違うが、言っている事はほぼ同じ。

 

ショパンは、前回の手紙でもヴォイチェホフスキの事を「エゴイスト」と呼んでいた。

ここでショパンがこのように感傷的な事を書いているのは、この時点ではまだ、彼が告別公演を開く事にはなっておらず、これがワルシャワからヴォイチェホフスキに宛てた最後の手紙になるはずだったからである。

 

 

カラソフスキー版はここで終わっており、「……」によって続きが省略された事が示唆されているが、実際に省略されていたのである。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#20.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

「……」

「僕はあまりにも補足的な事を言いすぎるが、しかしそれは今日だからで、なぜなら本当に、もしも――もしも君がそんなに遠く、遠く離れていなければ、フルビェショフ(※ウクライナとの国境近くに位置する)の遥か彼方でなければ、僕は君に来てくれと言うだろうが、僕は分かっているよ、君が、罪の数々を償うために他の人達を慰めなければならないのを、たとえ君が彼らを嫌悪していたとしてもだ。もしも僕に、君を慰めるために何かできるのであれば、僕は何でもするだろう;だが、僕を信じてくれたまえ、ウィーンに着くまでは、いかなる事に対しても治療する術がないのだ;したがって、君は不幸でもあり、幸福でもある訳だ。僕は君を理解しているから、君の気持になれる;だから――お互いに受け入れようではないか、それ以外に何も言う事はない。

F.ショパン     」

 

この箇所を読めば明らかなように、この時点でもやはり、ショパンとヴォイチェホフスキはウィーンへ向かう旅の道連れとなる事にはなっていないのである。

ショパンは「来週の土曜日」に、完全に1人で旅立つ事になっている。

カラソフスキーがこの箇所を削除した理由もそこにある。

 

 

手紙は、さらに以下の追伸で終わっている。

 

ショパンからヴォイチェホフスキへ 第16便#21.

カラソフスキー・ドイツ語版

オピエンスキー・ポーランド語版

 

「僕の両親は君の手を握り締める。姉妹達と兄弟達は君を抱擁する。もう一度僕にキスしてくれたまえ。僕は手紙を封筒に入れなければならないのだが、封緘を間違ってしまった。僕がそんな豚になるのを許してくれたまえ。ああ、神よ、私はあなたに許しを請う。ただ、怒ってはいけない。僕は今日、ベルリンで新しい暴動が起きた事を知らされた。」

 

この「兄弟達」と言うのは、いつものジヴニー達の事をまとめてそのように言ったのだと思われる。

[2012年3月12日初稿 トモロー]


【頁頭】 

検証9-15:告別公演の告知

ショパンの手紙 その知られざる贋作を暴く

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