13.加筆された「理想の人」の再登場――
13. Re-appearance of a corrected “ideal"-
今回紹介するのは、「ヴォイチェホフスキ書簡・第15便」である。
まずはカラソフスキー版による手紙を読んで頂きたい。文中の[*註釈]も全てカラソフスキーによるもので、改行もそのドイツ語版の通りにしてある。
■ワルシャワのフレデリック・ショパンから、 ポトゥジンのティトゥス・ヴォイチェホフスキへ(第15便/カラソフスキー版)■ (※原文はポーランド語、一部ドイツ語が混在) |
「1830年9月18日、ワルシャワにて 僕がなぜまだここにいるのか、僕にも正確には分からないのだが、しかし僕はとても幸せで、それに僕の両親は僕が留まっている事に賛成している。この前の水曜日に僕は、僕の協奏曲を四重奏の伴奏で試してみたが、完全には満足していない。リハーサルに出席した人達は、終楽章が最も成功した楽章だと言っている――おそらく一番分かりやすいからだ。フル・オーケストラではどのように響くだろうか、僕はそれを来週まで君に話せなくて、と言うのも、水曜日までそれを試すつもりがないからだ。明日、もう一度四重奏の伴奏でリハーサルする事になっていて、そのあとで僕は出掛けるつもりだ――どこへ? 僕は、どこにも特別魅力を感じていないのだが、しかし、とにかくワルシャワには留まっていない。もしも君が、他の多くの人達と同じように、何か愛する対象が僕をここに留めていると想像するなら、君は間違っている。僕に関する限り、僕にはどんな犠牲に対する準備もできていると君に保証する事ができる。僕は恋をしている、でも僕は、自分の不幸な熱情を、もう数年間は、僕自身の胸の内に閉じ込めておかなければならない。僕は会う楽しみのために、君と一緒に出発したいとは思わない;外国の土地で初めて僕らが抱擁する瞬間は、一緒に旅行する退屈な千日より、僕にとって大切なものになるだろう。 僕は、オーケストラ伴奏付きのポロネーズを書こうと目論んでいる;でも、僕の頭の中でスケッチしているだけだ;それがいつ日の目を見るのかは言えない。ウィンナ・ツァイツング(※ドイツ語で「ウィーン新聞」)が、僕の変奏曲(※作品2)について立派な批評を載せていて、短いけど包括的で、あまりに哲学的なのでほとんど翻訳するのが不可能だ。その記者は、この作品は表面的な美しさを持っているだけでなく、流行の流れを物ともせず永遠に存続させる本質的な美点を持っている、という言葉で結んでいる。これはまったく気前の良い賛辞で、僕はその批評家に会ったら礼を言うつもりだ。僕はこの記事がとても気に入って、なぜならそれは全く誇張されていないし、同時に僕の独立を認めているからだ。僕は、君以外の誰にもそんな事話したりなんかしないが、僕らはお互いによく理解し合っているから、僕は、あえて商人のように、僕自身の商品を褒めるべく表明してもいいのさ。 オルウォフスキの新しいバレエが、今日初めて上演される。音楽の独創についてよりも、大掛かりな景観の仰天するような自然(の舞台セット)についての方が多く話題にされている。昨日は、Cのすばらしく巨大な家で、彼の誕生日なので、僕はシュポーアのピアノ、クラリネット、バスーン、フレンチホルン及びフルートのための五重奏曲[*ショパンはこの配列で楽器を並べている]でピアノを弾いた。この作品は素晴らしく美しいが、しかしピアノ・パートはあまより弾き易くない。シュポーアがピアノのために書いたものは全て非常に難しくて、どのように運指したらよいか全く分からない経過句が多い。7時に開始するどころか、僕らは11時まで弾き始めなかった。君はおそらく、僕が早く眠らなかったのを驚く事だろう。けれどもなぜ僕がそうしなかったか、それには非常に正当な理由があって、と言うのも、来客の中に、僕の理想の人を鮮明に思い出させる美しい少女がいたからだ。ちょっと想像してみたまえ、僕は午前3時までいたのだ。 僕は、先週の今日クラクフの乗合馬車でウィーンへ出発する事になっていたのだが、最終的にその考えを断念した――なぜかは、君には推測できるだろう。君は、僕がエゴイストではないと安心してくれていいし、また、僕が君を愛しているのと同じくらいに心から、他の人々のために喜んで犠牲にもなるだろう。ただし、他の人々のためであって、外面の体裁のためではない。世論はここで大きな影響力を持っていて、僕はそれほどそれに影響されないが、粗末なコートを着ていたり、破れた帽子を被っていたりするのを人間の不幸だと見なしている。もしも僕が僕の職業で成功しないなら、ある素晴らしい朝に目を覚ましても食べ物がないのを見出すなら、君は僕のためにポトゥジン[*ヴォイチェホフスキの所有地]で事務員の職を充てがわなければならない。僕はこの前の夏に君のお城にいた時と同じように、そこの厩舎にいても幸福だろう。僕は、健康で精力のある限り、喜んで僕の全ての日々を働いて送ろう。僕はしばしば考えるのだ、自分が本当に怠け者ではないかとか、身体に欠陥がないならもっと仕事ができるのではないかとかね。冗談はさて置き、まったくそんなに怠け者ではないと確信している;必要とあらば、2倍は働けるだろうよ。 人はよく、他人から良い批評を得ようとして、却ってそれを失うものだ;でも僕は、僕自身を褒めはするが、僕らの間にはお互いに共感するものがあるから、君の評価において僕自身を高めたり低めたりしようとは思わない。君は君の思想の主人ではなく、でも僕は僕の考えを支配できるし、また、僕の頭の中に1つのアイディアが浮かんだ時、樹木がその生命の魅力と美である緑の覆いを奪われるのを許さない以上に、僕はそれを手放さないだろう。僕はまた、頭の中だけとは言え、冬でも緑を保っていて、僕の心は真赤に焼けているから、だから樹木があんなに繁茂しているのも不思議ではない。神よ、僕を助けたまえ! もうたくさんだ……永遠に君の……僕は今、ナンセンスな事を話しているのに気が付いた。君は分かるだろうが、僕は昨日の影響を乗り越えられず、睡眠が取れていないし、その上4回マズルカを踊ったので、まだ疲れている! 君の手紙は僕の理想の人がくれたリボンで結わいてある。僕はこの2つの無生物がとても仲良くしているのが非常に嬉しい。それはおそらく、それらはお互いに知り合いではないが、どちらも僕の親愛なる人の手から来た事を感じているからだろう。」 |
モーリッツ・カラソフスキー著『フレデリック・ショパン、その生涯、作品と手紙』(※ドイツ語原版・初版)
Moritz Karasowski/FRIEDRICH
CHOPIN, SEIN LEBEN, SEINE WERKE UND BRIEFE(VERLAG VON RISE & ERLER, BERLIN 1877)、
及び、モーリッツ・カラソフスキー著・エミリー・ヒル英訳『フレデリック・ショパン、彼の生涯と手紙』(※英訳版・第3版)
Moritz
Karasowski (translated by Emily Hill)/FREDERIC CHOPIN HIS LIFE
AND LETTERS(WILLIAM REEVES BOOKSELLER LIMITED 1938)より
それでは、今回の「ヴォイチェホフスキ書簡」も、その内容をオピエンスキー版と比較しながら順に検証していこう。
※
オピエンスキー版の引用については、現在私には、オピエンスキーが「ポーランドの雑誌『Lamus.』1910年春号」で公表したポーランド語の資料が入手できないため、便宜上、ヘンリー・オピエンスキー編/E.L.ヴォイニッヒ英訳『ショパンの手紙』(Chopin/CHOPIN’S LETTERS(Dover Publication、INC))と、「フレデリック・ショパン研究所(Narodowy
Instytut Fryderyka Chopina)▼」と言うサイトに掲載されているポーランド語の書簡資料とを照らし合わせながら、私なりに当初のオピエンスキー版の再現に努めた。
※
カラソフスキー版との違いを分かりやすくするために、意味の同じ箇所はなるべく同じ言い回しに整え、その必要性を感じない限りは、敢えて表現上の細かいニュアンスにこだわるのは控えた。今までの手紙は、本物であると言う前提の下に検証を進める事ができたが、「ヴォイチェホフスキ書簡」に関しては、そもそも、これらはどれもショパン直筆の資料ではないため、真偽の基準をどこに置くべきか判断がつきかね、そのため、「ビアウォブウォツキ書簡」等と同じ手法では議論を進められないからである。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#1. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「1830年9月18日、ワルシャワにて」 |
※
同じ。 |
まず日付についてだが、前回の「第14便」は「9月4日」なので、今回はそれからちょうど2週間後である(※下図参照)。
1830年9月 |
||||||
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
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1 |
2 |
3 |
4 14便 |
5 |
6 |
7 |
8 リハ |
9 |
10 |
11 出発? |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 15便 |
19 リハ |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
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ショパンは「第12便」で「来月のある日(10日)に出発する」と書き、そして「第13便」でも「僕は、次の週には本当に出発するつもりだが、その事で僕を信じてくれていいよ;それは9月の事で、明日はその1日(ついたち)だからね」と書いていた。
今回の2週間と言うのは、ショパンとヴォイチェホフスキが相手からの手紙を受け取ってそれに返事をする場合の最短のペースである。
カラソフスキー版では削除されているが、実はショパンはこの手紙を書くに当たって、ヴォイチェホフスキから、前回の「第14便」の返事を受け取っていたのである。
さて、今回も、カラソフスキーは以下の冒頭の挨拶を削除している。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#2. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「我が最も親愛なる生命よ! 嫌気がさすほどの偽善者よ! 行儀の悪い、ふしだらなオリイ伯爵よ! アベラルドよ、等々。」 |
またしても「嫌気がさすほどの偽善者」の登場である。しかも今回が一番ひどい。
ちなみに、ここで「嫌気がさすほどの」と訳されている形容詞には、「極悪非道の」、「どうにも食えない」などの意味もある。
この「オリイ伯爵」とか「アベラルド」とか言った名前は、おそらくオペラや芝居に登場する悪役達の事だと思われる。
※
ちなみに“オリイ伯爵”は「第8便」でも言及されていて、オピエンスキーの註釈によると、「ロッシーニによるオペラ;初演は1823年」。
これでショパンは、「第12便」に書かれていたポトゥジン訪問以降、4通連続でヴォイチェホフスキの事を「偽善者」呼ばわりしている事になる。
私の考えでは、今回ショパンがこのように罵っているのは、おそらく、この手紙を書くに当たって事前に受け取っていたヴォイチェホフスキからの返事の内容に反応したものだと思われ、つまりそこでヴォイチェホフスキが、ショパンに対してまたしても「偽善と虚偽」まがいの口約束みたいな事を書いて来たに違いないのだが、それについては後述する。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#3. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「僕がなぜまだここにいるのか、僕にも正確には分からないのだが、しかし僕はとても幸せで、それに僕の両親は僕が留まっている事に賛成している。」 |
「何の理由によってか知らないが、僕にとっては気持ちが良くて、そして父と母にしても、その意味で(良い)。」 |
この箇所は、オピエンスキー版では具体的な内容が書かれておらず、いかにも当事者同士の了解の下に書かれた文章という感じがする。
一方カラソフスキー版では、それを上記のように補ってドイツ語に翻訳してある訳だが、これに関しては特に作為的な改ざんとは見なせず、このあとの記述と照らし合わせても、解釈上問題ないものと思われる。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#4. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「Pを通じて、手紙と本を受け取った、もっと良い方法で(送れなかったのか)、どのようにしてこの本を送り返すことができるのか、なぜなら、いつもの事ながら、イタリア人が通り道で僕の頭を悩ましていたからだ。」 |
※
「P」 シドウの註釈によると、[原文ではイニシャルだけで記されている。これは、ティトゥス・ヴォイチェホフスキの妻となる、ポレティウ伯爵家の伯爵の兄弟の1人。オピエンスキーはこの名前をポロフスキという架空の人物でもって復元した。]
シドウが註釈している通り、この「P」が「ポレティウ」のイニシャルだと言う事は、この手紙と次回の手紙とを照らし合わせればはっきりと判明する事である。
それなのに、どう言う訳かオピエンスキーの英訳版では、ここはイニシャルではなく「ポロフスキ」と言う名前(姓)があてがわれている。
オピエンスキーはヴォイチェホフスキの遺族からこの手紙の「写し」を借り受けているのだから、それなりに文中の関係者については事実確認も取れるはずなのだが…(しかも、ヴォイチェホフスキの妻の実家の伯爵家である)。したがってこれは奇妙だと言わざるを得ない。
いずれにせよ、オピエンスキーが、必ずしも「ヴォイチェホフスキ書簡」をありのままの形で読者に伝えようとしていないと言う事実が、これでよく分かっただろう。
また、ここに書かれている「本」と言うのは、前々回の「第13便」で、
「僕はリナルディについて忘れていた――お願いだから、その本を僕に送ってくれたまえ、もしくは、ウォンチンスキに持たせるとかどうにかして;そのイタリア人は僕に平和をくれない;なぜ悪魔は、僕がポトゥジンの人々からその本を取り戻すのを忘れさせるのか。」
前回の「第14便」でも、
「追記:僕に手紙を書いて欲しい。そして、リナルディの事を忘れないで欲しい。」
と書かれていた「本」の事だと思われる。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#5. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「この前の水曜日に僕は、僕の協奏曲を四重奏の伴奏で試してみたが、完全には満足していない。リハーサルに出席した人達は、終楽章が最も成功した楽章だと言っている――おそらく一番分かりやすいからだ。フル・オーケストラではどのように響くだろうか、僕はそれを来週まで君に話せなくて、と言うのも、水曜日までそれを試すつもりがないからだ。明日、もう一度四重奏の伴奏でリハーサルする事になっていて、そのあとで僕は出掛けるつもりだ――どこへ? 僕は、どこにも特別魅力を感じていないのだが、しかし、とにかくワルシャワには留まっていない。」 |
※
ほぼ同じ。 |
前々回の「第13便」に、
「旅行が近くなっているので、僕は今週、四重奏の伴奏で協奏曲の全部をリハーサルしなければならず、四重奏と僕とで合わせて、少し馴染ませるのだ、と言うのも、エルスネルが言うには、そうしないとオーケストラとのリハーサルがうまくいかないのだと。」
と書かれていたが、前回の「第14便」では、「僕はまだ協奏曲を試していない」と書かれていた。
それがようやく行なわれ、ここで報告されている。
今回注目されるのは、以下の箇所である。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#6. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「もしも君が、他の多くの人達と同じように、何か愛する対象が僕をここに留めていると想像するなら、君は間違っている。僕に関する限り、僕にはどんな犠牲に対する準備もできていると君に保証する事ができる。僕は恋をしている、でも僕は、自分の不幸な熱情を、もう数年間は、僕自身の胸の内に閉じ込めておかなければならない。」 |
「もしも君が、ワルシャワにいる人達と同じように、何か恋愛問題について疑っているのなら、そのような想像は捨ててくれ。そして、僕が僕自身を全ての者よりも最も高い処に位置づけているだろうと自信を持っている事を確信して欲しい。 そして、仮に僕が恋に陥っているとしたら、更に数年長く、無力で哀れな情熱を隠す事ができる。どの様にでも思ってくれ。」 |
この箇所でコメントされている「恋愛問題」については、その対象がモリオール嬢であるかグワトコフスカであるか、その具体的な名前までは書かれていない。
しかし、この文面からして、これは明らかに一連のモリオール嬢がらみの記述に連なるものである。したがってこれは間違いなくショパンの自筆原文に書かれていたものであり、ヴォイチェホフスキらが加筆改ざんした「理想の人=グワトコフスカ」に関する話題ではない。
この箇所がモリオール嬢についてのものだとする理由は至って簡単である。
1.
モリオール嬢とショパンの恋愛事情については、すでに世間でも噂になっており、その事は過去の手紙でもそのように説明されている。
2.
しかし、一方の「理想の人=グワトコフスカ」については、ショパンはこの時点ではヴォイチェホフスキにしか打ち明けていない設定になっているのだから、「もしも君が、ワルシャワにいる人達と同じように」云々とは決してならないはずだからだ。
そして、この箇所を見れば明らかなように、ショパンとモリオール嬢の関係は、世間では噂になっているものの、正式には両者が同意の元で恋人として交際している訳ではなく、あくまでも噂に過ぎないのだが、ショパンの方はまんざらではなく、実際彼は彼女に対して「恋心」を抱いていたのである。
ところが、一方のモリオール嬢の方はどうかと言えば、おそらく彼女の方はショパンを恋愛の対象とは見なしていなかったのだ。だからショパンはそれを「無力で哀れな情熱」として、相手に告白する事なくいつまでも「隠す事ができる」と言っているのである。一般のショパン伝においては、モリオール嬢の方がショパンに気があったみたいな話になっているが、実際はそうではない。完全に逆なのだ。
また、このショパンの感情は、彼をワルシャワに留めている理由とはなっておらず、つまり、カラソフスキーが「第12便」において、[*グワトコフスカ嬢はショパンの理想の実現であった。…(中略)…彼のワルシャワを去りたいという望も消えた。]と註釈していた内容と明らかに矛盾するものである。
カラソフスキーのショパン伝においては、グワトコフスカこそがショパンの出発を遅らせている理由だと説明されているからだ。
このモリオール嬢については、「第10便」では以下のように書かれていた。
「ビクセル博士、 あの63歳になる年取ったドクターが、彼の亡くなった妻の姪である17歳の乙女と結婚した。教会堂は興味本位の参列者達ではち切れんばかりだった。ところが、お嫁さん自身は、彼女が結婚する事を何故これ程の人達が惜しむのか不思議に思ったそうだ。― この事は、結婚式場でお嫁さんの新婦付添い人となったモリオウヴナ(嬢)(=モリオール嬢)から直接聞いたので、僕はその事をよく知っているんだ。彼女から手紙をもらっているので、今書いているこの手紙を郵便局に投函しさえすれば、彼女のところに行く事にしている。何故なら、君もすでに知っている通り、喜んで白状するが、(彼女に対して)恋心を持っているからだよ。恋心には素直であるべきで、心に秘めている愛を大切にすべきだよ。― 君に僕の心の内を隠す事ができるなどとは思っていない。僕が恋わずらいをしている事を君に明かさないでおく事はできないよ。」
また、前回の「第14便」でも以下のように書かれていた。
「僕はこの手紙を何としても終えられない。無より悪い。何故なら、書き始めたのは11時半だったが、未だ服を着ないままで座って、書いているのに、モリオルカ嬢(=モリオール嬢)が僕を待っている。…(中略)…僕は彼らの実直さを確信しているので、今日、モリオルカ嬢と僕との2人が会わないで終わらせる事はできない。僕は(彼女が)好きで、そしてその他の人達の期待を裏切る訳には行かない。僕は、(ワルシャワに)帰って来てからまだ彼らの家に行っていない。時々、僕の悲しみが、彼女が理由だからだと思う事もある事を君に白状する。そのように人々も考えているのだと思う。そして、僕は表面的には静かな態度を見せている。泣いている僕を見れば、父は笑うかもしれないが、僕自身は笑っているよ。」
そして更に今回の記述とを並べて見ていくと、ショパンのモリオール嬢に対する感情には終始一貫したものがある。
ショパンはモリオール嬢に対して片思いをしているので、それが「悲しみ」の「理由」になったりはするけれども、しかし決してそれがワルシャワに引き留めている理由にはなっていないのである。だがそれは当然だろう。少しでも望みがあって告白したいと考えているのなら話は別だが、最初から成就しないと分かっている恋なら、そんなものが、自身の立身出世の妨げとなるほどの未練を残すはずがない。
ここでショパンは、彼女に対してそれほどの感情を抱いている訳ではないと説明しているのである。
次の箇所はカラソフスキー版では削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#7. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「いずれにせよ、ポドヴァレ通りで偶然に会った伯爵から受け取った手紙への(僕の返事)を、その肥えた体を動かして僕達の家に(取りに来る)と約束してくれているから、これが君に最も良く説明してくれる事だろう。」 |
この「伯爵」がすなわち「P」こと「ポレティウ伯爵」の事であり、カラソフスキー版では先ほどと同様にここも削除されている。
ショパンは、この「伯爵」に託されてきたヴォイチェホフスキからの「手紙と本」を受け取り、そしてそれに対する返事をまた「伯爵」に託してヴォイチェホフスキの許へ届けてもらう手はずになっているのである(※ショパンの出国がなぜ延期されているのか、その本当の理由がその手紙に書かれており、それがすなわち次回の「第16便」になるのである)。
つまり、ショパンがなぜこの手紙の冒頭でヴォイチェホフスキの事を「嫌気がさすほどの偽善者よ! 行儀の悪い、ふしだらなオリイ伯爵よ! アベラルドよ、等々」と罵っていたかと言うと、そのヴォイチェホフスキからの「手紙」に、ショパンにそれを言わせるような事が書いてあったからなのだ。
そして以下に続く箇所が、その内容を説明してくれているのである。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#8. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「僕は会う楽しみのために、君と一緒に出発したいとは思わない;外国の土地で初めて僕らが抱擁する瞬間は、一緒に旅行する退屈な千日より、僕にとって大切なものになるだろう。」 |
「僕は君と一緒に出発(出国)したくない。(君に対する)嫌味を考えだした訳ではない。しかし、僕は君を愛しているから、僕らが外国で初めて抱擁し合う時に、ずっと変わらずに過ごした千を数えるほどの日々を通じて感じていた思い出が消えて無くなるかも知れない。もう君を待つ事はできないだろうし、君を歓迎する事はできないだろうし、以前のように団欒する事ができないだろう。そうだ、あの時の満足感を心の中にしまい込んで、全ての人達に冷たい、他人から強制された言葉を使い、お互いに心を込めた神聖な言葉でやり取りする、神様の言語! 何と不幸な表現であるか、神の臍、あるいは、神の肝臓とか言う言葉;恐れるほど物質主義者的で、汚い表現である事か。――ここで話を元に戻して、僕があそこで(君の元で)会える時の話をしたい。その時には、僕は自分自身の事を言うのではなく、今でも、どこにいても僕の目の前にあり、聞こえて来る事で、世界で僕に取って最も嬉しい事で、もっとも悲しい事でもある、僕が見た夢のことを打ち明けたいと思っている。しかし、僕が恋に陥っているとは思わないで欲しい――その話は後に置いておきたい。」 |
カラソフスキー版ではかなり省略されているが、この箇所はちょっと意味が分かりにくいし、非常に訳しにくい。
これは、ショパンがこの手紙を書く前に「P」を通じてヴォイチェホフスキからもらった「手紙」に書かれていた事に対する返事なので、その「手紙」を読んでいなければ何も理解できないような書かれ方をしているからである。要するに、我々部外者にしてみれば、質問の内容を知らずに答えだけ読まされているようなものなのだ。しかし文通の当事者同士には、たとえこんな文面であっても、当然全てが分かるのである。
したがって、ヴォイチェホフスキからの「手紙」に何が書かれていたのかを推測しない限り、この箇所は我々にはとうてい理解不能だ。
そしてそのヒントは、ショパンが書いた前回の「第14便」に遡れば自ずと見えてくる。
ショパンは前回の手紙で、
「愛する友よ、一緒にイタリアに行こうではないか」
と書いていた。
しかしながら、前回も説明したように、ショパンは本気でヴォイチェホフスキを誘っていたのではなく、あくまでも願望を述べただけだったのだが、それを読んだヴォイチェホフスキは、それに対する返事として、大方以下のような事を書いてきたはずなのである。
“できる事なら僕も君と一緒にイタリアに行きたいよ。だけど、やっぱり仕事の都合で行けそうにない。でも君がかの地で演奏会を開けるようになったら、その時こそ僕も、遠い外国にだって必ず会いに行くよ。”
…とか何とか、そんな感じの事をだ…。
そして、それに対するショパンの返答が上記の記述になる訳である。そうすると、ショパンが何を言わんとしているのかも見えてくるだろう。
ヴォイチェホフスキと言う男は、いつだって、このように口先だけで上手い事言ってショパンからの誘いをかわしてきたのだ。だからショパンは、もうその手には乗らないよとばかりに、のっけから「嫌気がさすほどの偽善者よ! 行儀の悪い、ふしだらなオリイ伯爵よ! アベラルドよ、等々」とやり返していたのである。
カラソフスキーの伝記においては、このあとヴォイチェホフスキは、ショパンと共にウィーンに渡った事になっている。
そのようなエピソードを紹介したショパン伝はカラソフスキーのものが最初で、それ以前にリストその他が書いた伝記には一つも書かれていない。
だから、カラソフスキーはもちろんの事、それ以降のあらゆる伝記や書簡集においても、そのエピソードが事実であると言う認識と前提の下に、ショパンの手紙の意味不明な記述をそのように解釈して意訳するようになっている。その結果、この箇所もまた、ショパンがヴォイチェホフスキと一緒に出国する約束がすでに出来ていて、何かそれに関連した事について言及されているのだと思われている。
しかしだ、今一度それらの先入観を排除して、手紙に書かれている記述だけで全てを解釈し直そうとすれば、この箇所はもっと違う意味に見えてくるはずだ。
早い話が、ショパンはいつものようにヴォイチェホフスキの甘い虚言に踊らされて、2人の美しい再会を妄想しているだけなのである。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#9. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「僕は、オーケストラ伴奏付きのポロネーズを書こうと目論んでいる;でも、僕の頭の中でスケッチしているだけだ;それがいつ日の目を見るのかは言えない。」 |
「僕は、オーケストラ伴奏付きのポロネーズを書き始めた;でも、これまでのところ、ちょうど基本部分だけで、始まりの始まりだけだ。」 |
※
この「オーケストラ伴奏付きのポロネーズ」とは、《ピアノとオーケストラのための、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ ホ長調 作品22》で、この曲については、私の『BGM付き作品解説ブログ/アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ(2台ピアノ版)』▼の方で詳しく説明しております。
以下の部分は、カラソフスキー版では削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#10. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「田舎では、カミンスキの事を今まで別の性格の人間だと思っていたが、そうではなかった。これについてはPから詳しく話を聞いてくれ。すなわち、今日は君の関心事に答えるために、(そのことの)前章節を書くようなものだが、ミカエル祭の前には旅行(出国)しないよ。これが最も明瞭なポイントだ。君が僕からの手紙を今か今かと待っていて、顔面が赤くなるほど怒っているだろう。兄弟よ(親友と同じ意味)、そうではなく、僕達が思っている通りの事を実現したいと思っている。資金の不足が僕を(ここに)留めているからだとは思わないでくれ。何事に役立てるにせよ、それについての注意は必要だが、神様の慈悲のお陰で議論をするほどの事ではない。――そんなのは小さな問題だ。」 |
先述したように、ショパンがこの時点で出国を見合わせている理由は、実は、この手紙の4日後に書かれる次回の「第16便」で詳しく説明される。
どうやらその手紙が、「P」に託される形でヴォイチェホフスキの許へ届けられる手はずになっているようで、だからショパンはさっきも、「いずれにせよ、ポドヴァレ通りで偶然に会った伯爵から受け取った手紙への(僕の返事)を、その肥えた体を動かして僕達の家に(取りに来る)と約束してくれているから、これが君に最も良く説明してくれる事だろう。」と書いていたのである。
したがって、おそらく今書いているこの手紙に関しては、「P」には託されずにそのまま郵便局に持ち込まれてポトゥジンへ送られた可能性が高い。
と言うのも、「P」ことポレティウは5日後までワルシャワに滞在しているので、この手紙をそれまで寝かせておく訳にもいかないからだ。
そして、この手紙を書いている時点では、ショパンがヴォイチェホフスキに説明するべき「理由」について、まだ情報が不足していてはっきりとした事が言えない状況だったようである(※それは、ドイツ全土に起きた動乱に起因していた)。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#11. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「ウィンナ・ツァイツング(※ドイツ語で「ウィーン新聞」)が、僕の変奏曲(※作品2)について立派な批評を載せていて、短いけど包括的で、あまりに哲学的なのでほとんど翻訳するのが不可能だ。その記者は、この作品は表面的な美しさを持っているだけでなく、流行の流れを物ともせず永遠に存続させる本質的な美点を持っている、という言葉で結んでいる。これはまったく気前の良い賛辞で、僕はその批評家に会ったら礼を言うつもりだ。僕はこの記事がとても気に入って、なぜならそれは全く誇張されていないし、同時に僕の独立を認めているからだ。僕は、君以外の誰にもそんな事話したりなんかしないが、僕らはお互いによく理解し合っているから、僕は、あえて商人のように、僕自身の商品を褒めるべく表明してもいいのさ。」 |
※
言っている内容はほぼ同じ。ただし、こちらではで「ウィーン新聞」はなく、「ベルリンの新聞」となっており、また、「その記者」は「ドイツ人の記者」となっている。 |
ちなみに、ここに出てくる「ドイツ人の記者」について、アーサー・ヘドレイ編/小松雄一郎訳『ショパンの手紙』(白水社)では、訳者によって[フリードリッヒ・ヴィーク?]と言う註釈めいたものが施されているが、これはヴィークではありえない。ヴィークがショパンの変奏曲について批評した記事は、1832年にマインツの音楽雑誌に掲載されているからである。
※
それについての詳細は、私の『BGM付き作品解説ブログ/お手をどうぞによる変奏曲(1台ピアノ版)』▼で。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#12. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「オルウォフスキの新しいバレエが、今日初めて上演される。音楽の独創についてよりも、大掛かりな景観の仰天するような自然(の舞台セット)についての方が多く話題にされている。」 |
「僕にとっては、オルウォフスキの2番目にされるのは、過不足のない事だ。今日、レスべニエールの大掛かりな装置を使った新しいバレエが初演される。大騒ぎになると言われている。――」 |
この箇所は、ショパンがオルウォフスキ作曲のバレエについてコメントしているらしいのだが、ショパンが彼の事をあまりよく思っていない事は過去にも何度か触れられているので、オピエンスキー版の方にある「2番目」と言う記述は、おそらく「第13便」の以下の箇所についての皮肉だと思われる。
「それはそうと、ベルリンのある新聞に、ワルシャワでの音楽に関する馬鹿げた記事が載っていたよ。まず彼らは《アグネス》[*この箇所はグワトコフスカについて言及していると思われる]について話していて、歌唱のフィーリングと演技の両方について彼女を非常に正当に称賛しいる;それから続けて:“この若いアーチストは、エルスネル、ソリヴァ両氏の指導の下に設立された機関の出身である。前者は作曲の教授で、数人の生徒を養成しており、その中に、オルウォフスキ氏、ショパン氏、その他がおり、彼らは時間をかけて貢献するようになるかもしれない云々”とある。そんなくだらない奴は悪魔にさらわれるといい。ブーケは目を真っ赤に瞬かせて、“彼らはうまいこと君に一杯くらわした”(※フランス語)と僕に言った;するとエルネマンは付け加えて、僕が2番目に置いてもらったのをラッキーと考えるべきだと。その記事はこれらの弟子達についてはこれ以上言っていないが、ただ以下のように結んでいる;“エルスネル、ソリヴァ、クルピンスキ諸氏の仕事を評価する事については、我々は今後に委ねる事になるであろう。” 一部のずうずうしいワルシャワの野郎のたわ言だ。」
カラソフスキー版では、その辺の事はどちらも削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#13. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「昨日は、Cのすばらしく巨大な家で、彼の誕生日なので、僕はシュポーアのピアノ、クラリネット、バスーン、フレンチホルン及びフルートのための五重奏曲[*ショパンはこの配列で楽器を並べている]でピアノを弾いた。この作品は素晴らしく美しいが、しかしピアノ・パートはあまより弾き易くない。シュポーアがピアノのために書いたものは全て非常に難しくて、どのように運指したらよいか全く分からない経過句が多い。」 |
「昨日、チホツキを訪問した、例の肥えた男で、彼の命名日のお祝い会があった。ピアノ、クラリネット、ファゴット、ホルン、フルートと共演するシュポーアの五重奏曲を演奏した。非常に美しい曲だ。しかし、指の動かし方が大変だ。ピアノ曲として全てのこと(技)を意図的に、これ見よがしに盛り込んだ作曲だ。
耐え難いほどに難しく、指を持って行く場所が時々分からなくなるほどだ。」 |
カラソフスキーは、前回の手紙では「ツェリンスキ」を「C」のイニシャルに変えていたが、今回は「チホツキ」を「C」のイニシャルに変えている。
次の箇所でも、カラソフスキーの作為が分かる。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#14. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「7時に開始するどころか、僕らは11時まで弾き始めなかった。君はおそらく、僕が早く眠らなかったのを驚く事だろう。けれどもなぜ僕がそうしなかったか、それには非常に正当な理由があって、と言うのも、来客の中に、僕の理想の人を鮮明に思い出させる美しい少女がいたからだ。ちょっと想像してみたまえ、僕は午前3時までいたのだ。」 |
「この五重奏を午後7時に演奏する予定だったが、かなり遅れて、11時になって演奏を開始した。君は、僕が眠り込まなかった事を不思議に思うだろう。そこに非常に綺麗な娘さんがいて、僕の理想の人を思い出させた。朝の3時まで演奏していたと思ってくれ。五重奏の演奏がそれほど遅くなって、何故ならバレエの練習が11時まで続いたからだ。だから想像してくれたまえ、いかにこのバレエのスケールが巨大であるかを。それで今日は(疲れた腕や腰を直すために)飛び跳ねるような格好で疲れを癒している。」 |
この箇所に関しては、私は間違いなくヴォイチェホフスキが加筆改ざんしていると考えている。
ここでは、久し振りに文中に「理想の人」が登場しているが、これは「第4便」でそれが告白されて以来、ようやくにして2度目の登場となっている。
「第4便」のそれがヴォイチェホフスキによる加筆改ざんだとするなら、これもまた同じ事である。
たとえば、上記のオピエンスキー版の記述が、本当は以下の通りだったとしたらどうだろうか?
「この五重奏を午後7時に演奏する予定だったが、かなり遅れて、11時になって演奏を開始した。君は、僕が眠り込まなかった事を不思議に思うだろう。【そこに非常に綺麗な娘さんがいて、僕の理想の人を思い出させた。】 朝の3時まで演奏していたと思ってくれ。五重奏の演奏がそれほど遅くなって、何故ならバレエの練習が11時まで続いたからだ。だから想像してくれたまえ、いかにこのバレエのスケールが巨大であるかを。それで今日は(疲れた腕や腰を直すために)飛び跳ねるような格好で疲れを癒している。」
【青文字下線】で示した箇所を加筆改ざんと見なし、それを取り除いて読むと、完全に前後の文章が自然につながっている事が分かるだろう。
そしてその上でカラソフスキー版に目を向けると、カラソフスキーが、ショパンが五重奏の演奏時刻が遅れた理由を「バレエの練習が11時まで続いたからだ」と説明している箇所を削除し、「午前3時までいた」理由を「理想の人」に似た子がいたからだと、そのように完全に話を摩り替えていた事も分かるだろう。
なんと言う見事な「嘘の連係プレー」だろうか…。
ヴォイチェホフスキの、いかにも取って付けたような加筆改ざんがバレないように、カラソフスキーが更に嘘の上塗りをしてしっかりフォローしていたのである。
これでよく分かったのは、ヴォイチェホフスキとカラソフスキーの設定では、ショパンにとっての「理想」とは、単に容姿だけの問題であり、性格や才能はどうでもいいのだと言う事である。
単に似ている子がそこにいるだけで、それが「午前3時までいた」理由になってしまうくらいなら、そしてそんな下らない話を手紙でいちいち報告するくらいなら、「第4便」以降、ショパンがそれらしい事を書く機会はいくらでもあったはずなのに、その機会はことごとく素通りされ続けていた。私はその都度、その事に対して疑問を呈していた。すると今度は、「第12便」でいきなり「理想の人」をグワトコフスカだった事に設定変更してからと言うもの、逆にその手の話題を常に欠かさないようになっているのである。
次の箇所はカラソフスキー版では削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#15. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「昨日は、ロンドンにいるバルテックに手紙を書いた。アントシ(アントニ)・ヴォジンスキがウィーンから帰って来た。間違いなくかの地へ行くが、その期日を君に教える事はできない。」 |
※
「バルテック」 シドウの註釈によると、[アントニ・バルチンスキの事で、すなわちイザベラ・ショパンの将来の夫。]
ショパンがヴォイチェホフスキと手紙のやり取りをするようになってからと言うもの、ショパンは、ワルシャワを発つまでの間、ヴォイチェホフスキ宛と家族宛以外には誰にも手紙を書いていないように見える。が、あくまでもそれは、我々に確認されている手紙がそれだけなのであって、実際はこのように、バルチンスキに宛てて手紙を書いたりもしていたのである。
しかしながら、そう言った手紙の数々は、残念ながら一つも現存していない。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#16. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「僕は、先週の今日クラクフの乗合馬車でウィーンへ出発する事になっていたのだが、最終的にその考えを断念した――なぜかは、君には推測できるだろう。君は、僕がエゴイストではないと安心してくれていいし、また、僕が君を愛しているのと同じくらいに心から、他の人々のために喜んで犠牲にもなるだろう。ただし、他の人々のためであって、外面の体裁のためではない。世論はここで大きな影響力を持っていて、僕はそれほどそれに影響されないが、粗末なコートを着ていたり、破れた帽子を被っていたりするのを人間の不幸だと見なしている。もしも僕が僕の職業で成功しないなら、ある素晴らしい朝に目を覚ましても食べ物がないのを見出すなら、君は僕のためにポトゥジン[*ヴォイチェホフスキの所有地]で事務員の職を充てがわなければならない。僕はこの前の夏に君のお城にいた時と同じように、そこの厩舎にいても幸福だろう。僕は、健康で精力のある限り、喜んで僕の全ての日々を働いて送ろう。僕はしばしば考えるのだ、自分が本当に怠け者ではないかとか、身体に欠陥がないならもっと仕事ができるのではないかとかね。冗談はさて置き、まったくそんなに怠け者ではないと確信している;必要とあらば、2倍は働けるだろうよ。」 |
※
多少の違いはあるが、言っている内容はほぼ同じ。 |
ポトゥジンにあるヴォイチェホフスキの家と言うのは、実は立派な「宮殿」なのである。
何と言ってもその土地の領主の家なのだから、一般の家屋と違っているのは当然だ。だから、そんな「お城」に暮らしている地主様が、ポーランドの最果てから遠路はるばるワルシャワヘ出向くのに腰が重くなるのも、むしろ当然の事だと言えなくもないだろう。
次の箇所はカラソフスキー版では削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#17. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「君の前では、自分自身を罪のない者と見なし、これ以上うまく自分を諌める事ができないのを君は知っている。欲・得なしに君を愛している事を確信している。君が僕を絶えず愛してくれているように、それも日ごとに深く愛してくれている。だから、これだけあれやこれやと乱雑に書けるのだ。」 |
カラソフスキーは、時として、ショパンがヴォイチェホフスキに対して過剰とも取れるような愛情表現をしている箇所を敢えて削除する傾向にあるが、ここもそのようなものだと考えられる。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#18. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「人はよく、他人から良い批評を得ようとして、却ってそれを失うものだ;でも僕は、僕自身を褒めはするが、僕らの間にはお互いに共感するものがあるから、君の評価において僕自身を高めたり低めたりしようとは思わない。君は君の思想の主人ではなく、でも僕は僕の考えを支配できるし、また、僕の頭の中に1つのアイディアが浮かんだ時、樹木がその生命の魅力と美である緑の覆いを奪われるのを許さない以上に、僕はそれを手放さないだろう。僕はまた、頭の中だけとは言え、冬でも緑を保っていて、僕の心は真赤に焼けているから、だから樹木があんなに繁茂しているのも不思議ではない。神よ、僕を助けたまえ! もうたくさんだ……永遠に君の……」 |
「時として、人は良くしようと願っていても、悪くしている事がある。しかし、僕が思うに、君の側では良くせねばならないと言う必要はないし、良くしていくばかりでなく、悪くしていく事もできそうにない。――君に対する僕の友情は、あらゆる超自然的な手段を講じて、同様の友情に似たものを君に示すことを強要している。君は自分の考えの主人ではないが、僕は自分自身の主人であり、喜びと命を与えてくれる緑の木を見捨てる事を許さない。そして、冬であっても僕の気持ちは緑になる。僕の頭の中は緑だ、しかし、信じて欲しい、心は熱く、その様な植物性動物と思われるような生活であっても、何も不思議ではない。もうたくさんだ! 終わりに頬にキスをくれ、永遠に君の F.ショパン 」 |
※
現在のポーランド語では、頭の中が緑である事は、頭の働きが悪くなったり、鈍ってきたりしたのを卑下する意味であるが、ショパンが言う「緑」は、気分の良い事を意味していると見られるそうである。
カラソフスキーが「……」で省略したらしい箇所には、はやりちゃんと文章があった事が分かる。ここでは、「終わりに頬にキスをくれ」と「F.ショパン」のサインとを省略している。
また、この箇所においても、カラソフスキーは、ショパンがヴォイチェホフスキに対してくどくどと愛情表現をしている箇所を切り捨てている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#19. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「僕は今、ナンセンスな事を話しているのに気が付いた。君は分かるだろうが、僕は昨日の影響を乗り越えられず、睡眠が取れていないし、その上4回マズルカを踊ったので、まだ疲れている!」 |
「今になって初めて、君に多くのナンセンスをぶつけていた事に気付いた。つまり、昨日のイマージネーションの影響がまだ続いていて、十分には寝ていない、疲れがある事も許してくれ、何故なら マズルカを踊ったからだ。」 |
オピエンスキー版では、マズルカを踊った回数を「4回」だとは書かれていない。
次の箇所はカラソフスキー版では削除されている。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#19. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
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「ママ、パパからは君を強く抱く挨拶がある。子供達も同じ。伯爵の来訪に喜んでいる総裁に会った。君への手紙や何か小包を運んでくれるらしく、グダンスクからも何か贈り物があることも彼を喜ばせている。ヴァレリーはいつであってもヴァレリーだ。(彼の)隣人、コルバキン嬢(ロシア人名)が亡くなった。ヴィンツェンティは健康で、美男子だ。コストゥスはドレスデンで皆と一緒だ。ソコウォフスカ婦人が帰って来た。いつもの事ながら、体が弱い。」 |
また「子供達」と言う表現だが、やはりここでも、「ママ、パパ」が併記されており、尚且つ追伸部分である。
なお、ここに書かれている「ヴァレリー」は、「ヴァレリー・スカルジンスキ」で、彼の名は過去に3度登場している。
1. 「第8便」
「ちょうど今、コツィオ(※コンスタンチン、つまり、ロシア皇帝ニコライ二世の兄でポーランド総督)がヴァレリー・スカルジンスキと一緒に到着していて、それと、愛婿(※フランス語)も彼らと一緒に旅している。自家用四輪馬車の車輪が滑って行き、遠方からの燃えるような色の淑女達の帽子;美しい時間だ。」
2. 「第9便」
「君に手紙を書くのをどれほど僕が愛しているか、君も知っての通りだ。君はガーディアン(※保護者、守護者)になったと言って僕を笑わせた。君はいくつかのコティヨン(※フランス語)について僕に話してくれとの事だが、僕が思うに、それがヴァレリーの仕事だったに違いない。」
3. 「第12便」
「ヴァレリーが光輝くブリラントカットのボタンを付けた服を着て、銀行家の顔をして、街の中の通りをかっ歩しており、ヴィンツェントはいつも通り良き人であり、以前通りの良い役人として働いている。」
また、「ヴィンツェンティ」も姓は「スカルジンスキ」で、彼も過去に3度登場している。
1. 「第3便」
「君は、僕に関するニュースについて、ヴィン・スカルジンスキからもたらされたもの以外は少しも聞かされなかっただろう。」
2. 「第4便」
「そして、ヴィンツェント・スカルジンスキが、君は確かにすぐに戻って来ると僕に話して、訳もなく僕に希望を抱かせていたと言う事を、君は知らなければいけない。」
3. 「第12便」
「ヴァレリーが光輝くブリラントカットのボタンを付けた服を着て、銀行家の顔をして、街の中の通りをかっ歩しており、ヴィンツェントはいつも通り良き人であり、以前通りの良い役人として働いている。」
これらの記述は全てカラソフスキー版では削除されている。唯一「第3便」だけが例外だが、そこでは「Sk」と言うイニシャルに変えられており、素性が分からなくされていた。
「第8便」の記述を見れば明らかなように、「ヴァレリー・スカルジンスキ」はコンスタンチン大公と通じている人物である。つまり、国粋主義者のカラソフスキーにとっては国賊も同然で、だから彼はスカルジンスキ家の人々をことごとく抹殺しているのである。
したがって、カラソフスキーにとって、コンスタンチン大公家で家庭教師をしているモリオール家の人間もまた同罪であり、だから「モリオール嬢」の存在をショパンの本当の初恋の人と認めたくないのも当然だったのである。
以下がこの手紙の結びだが、この箇所でも、カラソフスキーの作為的な嘘がはっきりと分かる。
ショパンからヴォイチェホフスキへ 第15便#19. |
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カラソフスキー・ドイツ語版 |
オピエンスキー・ポーランド語版 |
「君の手紙は、僕の理想の人がくれたリボンで結わいてある。僕はこの2つの無生物がとても仲良くしているのが非常に嬉しい。それはおそらく、それらはお互いに知り合いではないが、どちらも僕の親愛なる人の手から来た事を感じているからだろう。」 |
「君からの手紙は僕の胸中にあり、リボンが付いている、何故なら、(物質であるにも関わらず)それらはお互いに知らないでいるが、知り合いである二人の手が触った(温かみ)を感じている。」 |
ポーランド語の原文では、ただ単に「リボン」としか書いていないのに、カラソフスキーはそれを「僕の理想の人がくれたリボン」に改ざんしている。
前回もカラソフスキーは、原文では「僕の全ての宝物(複数形)」となっていて、あくまでも家族や友人知人を指して言っている言葉にすぎないものを、わざわざ「僕の宝物(単数形)」に改ざんし、そしてそこに[*グワトコフスカ嬢に対する愛着を指している]と言う注釈をこじつけていた。
今回のこの箇所もそれと同じで、なぜなら今回の手紙にも、前回と同様グワトコフスカに関する記述が全く出てこないからで、したがってカラソフスキーは、今回もこの手紙の中から、何かしら「理想の人」とこじつけられそうな言葉を探し出し、その結果、この「リボン」に白羽の矢を立てたと言う訳である。
このように、いちいちこんな姑息な嘘を積み重ねなければならない時点で、「理想の人」が最初から実在しない架空の人物である事が却って浮き彫りにされてしまうのだ。
仮に本当に実在していたのなら、わざわざこんな嘘をつく必要がないからだ。
これで、「第12便」において、「理想の人」をグワトコフスカだった事に設定変更して以来、その「理想の人」がずっと出ずっぱりになっている事が分かるだろう。それ以前の手紙においては、グワトコフスカについて書かれていた場合ですら、カラソフスキーは何の関心も示さずにずっと削除し続けていたのにだ。
今回の手紙には、ヴォイチェホフスキが加筆改ざんした「理想の人」の再登場が見られたが、ここでそれが、カラソフスキーによってもう一度取って付け加えられている。
ショパンが「第10便」でモリオール嬢に対する「恋心」を告白して以来、ショパンの手紙には、世間でも噂になっているその恋と、「理想の人」=グワトコフスカへの隠された恋と、2つの恋が混在している事が分かるだろう。
だがそんな馬鹿な話があるだろうか?
どちらか一方が本当なら、もう一方は間違いなく嘘である。
だとしたら、あなたは、一体どちらが本当のショパンの初恋だと思われるだろうか?
[2012年3月8日初稿 トモロー]
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