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検証8:第1回ウィーン紀行――

Inspection VIII: The journals of the first Viena's travel -

 


2.2便/驚くべき歓待と演奏会への誘い―

  2. The journals of the first Viena's travel No.2-

 

 ≪♪BGM付き作品解説 ポーランド民謡による大幻想曲(2台ピアノ版)▼≫
 

今回紹介するショパンの手紙は、「ウィーン紀行・第2便」で、これは、カラソフスキーのドイツ語版の著書『フレデリック・ショパン、その生涯、作品と手紙』で最初に公表されたもので、文中の[註釈]も全てカラソフスキーによるものである。

 

■ウィーンのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワの家族へ(第2便/カラソフスキー版)■

(※原文はポーランド語)

182988日、ウィーンにて

僕は達者で、気分良く過ごしています。なぜだか分かりませんが、ここの人達は僕を見て驚いています。僕は僕で、何にでも驚く事を見出す彼らに驚いています。良きエルスネルの推薦状のおかげで、僕はハスリンガー氏から非常に友好的な歓迎を受けました。彼は、どうすれば僕を十分にもてなせるか分らないようでした;彼は僕に、音楽に関する目新しい出版物を全部見せてくれ、彼の息子に演奏させて、そして奥さんを紹介しない事を詫びました、その人はちょうど外出中だったのです。彼は全てにおいて慇懃なのにも関わらず、まだ僕の作品を印刷しません!!!

僕はその事について尋ねませんでしたが、彼は一番立派な出版物の一つを見せながら、僕の変奏曲も同じ形で“オデオン”にて来週発刊する事になっていると話しました。これは僕が全く予想しなかった事です*ショパンは作品2の変奏曲と作品4のソナタを、出版のためにハスリンガーの許に送ってあった]。彼は僕に、公開の場で弾く事をしきりに勧めます、今は夏で、したがって演奏会を開くには好ましい時期ではないけれども。

僕がここにいる事を知っているアーティストや音楽愛好家たちは、僕が演奏会をせずに帰ってしまったらウィーンにとって大きな損失だと考えています!

僕には、それがどういう意味なのかさっぱり分りません。シュパンツィッヒ氏(※べートーヴェンの友人で、シュパンツィッヒ弦楽四重奏団として有名。彼の妻は《月光の曲》を献呈された)――その人に宛てた推薦状を持ってます――は、彼の四重奏団のパーティーは終わっているけれども、僕が帰るまでには集まりを持とうと知らせて来ました。年寄ったフッサルゼフスキー氏は、一度会っただけですが、僕の演奏にすっかり感心して、ディナーに招待してくれました。ウィーンの紳士たちが幾人も出席していましたが、みな例外なく、公開演奏をするように勧めました。

シュタイン(※ピアノ製造家)は楽器の一つを送ろうと申し出て、僕の音楽会でそれを弾いてくれと頼みました;グラーフ(※ピアノ製造家)――僕は彼のピアノが好きです――も同じ提案をしました。ヴェルフェル*ヴィルヘルム・ヴェルフェルはポヘミアに生れ、ワルシャワ音楽院で数年間ピアノ教師をしていた。1826年にウィーンのケルントナー門の王立劇場の指揮者になり、1832年に当地で亡くなった]が言うには、何か新しいものを作曲してセンセーションを巻き起こしたいのなら、必ず自分で弾かなければいけないのだと。ハスリンガーの所で会ったジャーナリストのブラヘトカ氏もまた、僕に演奏会をするように勧めました。僕の変奏曲は、それを聴いた人達から大いに称讃されました。

ハスリンガーは、ウィーンの人々は、僕が自分の作品を自ら演奏するのを聴くべきだと考えています。誰もが、新聞は僕に賛辞を贈るに違いないと、僕にそう保証してくれます。ヴェルフェルの意見では、これから僕の作品が出版されるのであれば、演奏会をやっておくのが望ましく、さもないと再びここへ来なくてはならなくなる、しかし今なら、ウィーンの人々は何か新しいものに飢えているから、最もいい時なのだと。彼は、若い音楽家がそのような機会を棒に振るのは許しがたい事だと言っています。僕がピアニストと作曲家と言う2つの立場で世に出るつもりなら、自分で引っ込み思案になってはいけないと。彼は、最初に変奏曲を弾き、次にロンド・クラコヴィアクを、そして最後に即興演奏をするよう望んでいます。

僕は、それを万事どのように手配すればいいのかまだ分っていません。シュタインは非常に親切で温厚な人ですが、楽器はグラーフの方が好みです。ハスリンガー、ブラヘトカ、およびヴェルフェルの諸氏は、僕の選んだ方に賛成しています。

どこへ行っても、僕は演奏してくれと言う要請で攻め立てられます。僕は、音楽関係者との面識には事欠きません。ハスリンガーはさらに、僕をカール・チェルニーに紹介しようとしています。

ガレンベルグ伯爵(※ウィーンの帝国歌劇場の専務)が管理している劇場で、僕は――二流の音楽以外に――3つの歌劇、《白衣の貴婦人(白婦人)》(※ボイエルデュー作曲)、《チェネレントラ(シンデレラ)》(※ロッシーニ作曲)、およびマイヤベーア(マイエルベール)の《クロシアート》(※エジプトの十字軍)を聴きました。オーケストラとコーラスは立派なものです。今日は《エジプトのヨゼフ》(※メユール作曲)が演奏される事になっています。僕は音楽アカデミーで、マイセダーの独奏を2回聴き、感服しました。

ウィーンは綺麗で活発な都市で、僕を非常に喜ばせています。彼らは僕に、ここで冬を過ごすよう説得しようとしています。ちょうど今、ヴェルフェルが僕をハスリンガーの所に連れて行くために入って来ました。

 

追伸

僕は決心しました。ブラヘトカは、僕が将来熱狂を喚起するだろうと考えていて、と言うのも、僕は“第一級の芸術家で、モシュレス、ヘルツ、およびカルクブレンナーと同列に置かれる価値がある”からなんだそうです。ヴェルフェルはほんとうに親切で、僕をガレンベルグ伯爵、楽長ザイフリート(※リッター・フォン・ザイフリート。18761841。作曲家兼指揮者で、ピアノはモーツァルトの弟子)、および音楽関係で多少なりとも関心と影響力のある彼の友人達に紹介してくれました。彼は、僕が演奏会をやるまではウィーンを去ってはいけないと断言しています。ガレンベルグ伯爵は、僕が伯爵の劇場で、しかもギャラなしで演奏するので――僕の主な目的は月桂冠を勝ち取る事なんですから――非常に喜んでいます。

ジャーナリスト達は、すでに僕の事をじろじろと見つめています;イタリア歌劇座(今は閉場されています)の支配人が僕の手を取って中に入って来たので、オーケストラのメンバーが僕にとても恭しくお辞儀をしたからでしょう。

ヴェルフェルは、僕のためにトラブルがないよう取り計らってくれて、リハーサルにも出席してくれるつもりでいます。彼はワルシャワにいた時も非常に親切でしたし、僕は、彼がエルスネルの事をこんなにも愉快に思い出しているのを特に嬉しく思っています。ここの人達は、ケスラー、エルネマン、チャベックら(※いずれもワルシャワでピアノ教師をしている)が僕と一緒にワルシャワにいる事を意外に思っています。けれども、僕自身はただ芸術への愛から演奏するだけでレッスンを取らないから(※だからワルシャワでは他にピアノ教師が必要なのだ)と、その人達に説明しています。楽器はグラーフのを使う事に決めましたが、シュタインを怒らせたくはありませんから、彼が僕をを許さない訳にはいかないくらいの辞句でお礼を述べておきました。

僕は、神の慈悲深いご加護を願っています。親愛なる皆様、御心配なさらないで下さい。アデュー!(※フランス語で“さよなら!”

あなた方の優しい愛情に富める

フレデリックより」                                      

モーリッツ・カラソフスキー『フレデリック・ショパン、その生涯、作品と手紙』(※ドイツ語原版・初版)

Moritz Karasowski/FRIEDRICH CHOPIN, SEIN LEBEN, SEINE WERKE UND BRIEFEVERLAG VON RISE & ERLER, BERLIN 1877)、

及び、モーリッツ・カラソフスキー著・エミリー・ヒル英訳『フレデリック・ショパン、彼の生涯と手紙』(※英訳版・第3版)

Moritz Karasowski translated by Emily Hill/FREDERIC CHOPIN HIS LIFE AND LETTERSWILLIAM REEVES BOOKSELLER LIMITED 1938)より   

 

カラソフスキーは、この手紙を紹介するに当たって、以下のような前置きをしている。

 

「我々は彼の家族に送った次の手紙を、省略なしに転載して置く――」

モーリッツ・カラソフスキー著/柿沼太郎訳

『ショパンの生涯と手紙』(音楽之友社)より

 

 

実はこの手紙には、カラソフスキーのドイツ語版の他に、昨年の「ベルリン紀行・第1便」と同様、どう言う訳か手紙の宛先が「ワルシャワのフェリックス・ヴォジンスキ宛」となっているポーランド語版があり、「フレデリック・ショパン研究所(Narodowy Instytut Fryderyka Chopina)」と言うサイトに掲載されている。

「ベルリン紀行・第1便」の時は、両者の間にはハッキリとした違い(改ざん)や説明なしの意図的な省略が見られたが、しかし今回の「ウィーン紀行・第2便」では、両者の間には取るに足らないささいな違いしかない。したがって、カラソフスキーが「省略なしに」と書いている事は、今回に限ってはある程度信用してもいいようである。

ただし、逆に、カラソフスキーのドイツ語版の最後にある「アデュー! あなた方の優しい愛情に富める フレデリックより」と言う“別れの署名”が、ヴォジンスキのポーランド語版にはない。

前年の「ベルリン紀行・第1便」の時は、ヴォジンスキ版にもこのような署名があったためその時は気付かなかったが、ショパンが家族宛に書いた手紙で典拠の確かなものに関しては、このような署名がないなどと言う事は例がないため、これに関してはヴォジンスキ版の方が省略されていると考えて間違いない。

つまり、宛先が「ワルシャワのフェリックス・ヴォジンスキ宛」となっているポーランド語版と言うのは、ショパンがヴォジンスキ宛に託送したものではなく、あくまでもショパン家宛に送ったものを、ヴォジンスキが回し読みさせてもらった際にその手紙の写しを取ったものである事は間違いない。そうでない限り、このような署名の省略は説明がつかない。

 

この手紙は、前回の「ウィーン・紀行・第1便」からちょうど1週間後に書かれている。

このインターバルはちょっと長いようにも感じられるが、手紙の内容から、ショパンがこの1週間をそれくらい多忙に過ごしていたらしい様子がうかがえるので、おそらく「失われた手紙」は存在しないものと思われる。

 

この手紙は、読んでお分かり頂けるように、ショパンがハスリンガーに不信感を抱いているニュアンスが読み取れる以外は、ショパンにとって称賛すべき事しか書かれていない。

この内容であれば、カラソフスキーならずとも、誰もこの手紙に手を加えようなどとは考えないであろう…そんな手紙である。

したがって今回は、特に検証すべき問題も見当たらないので、取り敢えず手紙を紹介するにとどめておきたい。

 

[2011年7月25日初稿 トモロー]


【頁頭】 

検証8-3;第3便/ウィーンの舞台に立つ

ショパンの手紙 その知られざる贋作を暴く

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