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検証3:ショパン唯一の文学作品 『シャファルニャ通信』――

Inspection III: KURYER SZAFARSKI by Chopin -

 


5.『シャファルニャ通信』 1824年8月27日、金曜日号――

  5. KURYER SZAFARSKI, 27 August 1824.-

BGM(試聴) ショパン作曲 マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1 by Tomoro

 

 

この号も原物は残っていないが、完品の複製が現存しており、クリスティナ・コビランスカ編『故国におけるショパン』で写真確認する事ができる。

 

■シャファルニャのフレデリック・ショパンから、

ワルシャワの家族へ■

(※原文はポーランド語)

1824824、金曜日    シャファルニャ通信      国民の備忘録:1798年、栗毛の種馬が帰宅時、国境を通過中に亡くなりました。

国内通信

 

本年の同月25日:コステリア嬢、この御婦人はかつて、魅惑的な声でシモン氏を『Gay!Gay!』と大声で呼び寄せていたが、水の一杯入った壷を持って台所から出て来た時、彼女はうっかり転んで壷を壊してしまった。この事件は反響が大きく、すぐに編集者にも伝えられ、ニュースの重要性を考慮し、他の全ての国内ニュースに先駆けて掲載するものである。

        「Gay!Gay!」は、ポーランド語原文ではgay、gay、と書かれている。シドウ版には何の注釈も施されていないが、この言葉が「同性愛者」の意味に使われるようになるのは20世紀以降。元の意味は「陽気な、派手な、厚かましい」等だが、足達和子著『ショパンへの旅』(未知谷)の注釈によると、鶏などに餌をやる時の呼び声として「こーい、こいこい」と訳されており、それを下男に対しても使っているとの事である。

本年の同月25:ニワトリ小屋で雛の化け物が誕生。この異様な生き物はしかし、片方の翼がある以外は足が2本あるだけで、頭も尻尾もないという始末。女中頭は、このような自然界の驚異を明らかにすべく、近く彼をワルシャワか、その他の都市に連れて行く予定とのこと。

        この25日」はシドウ版の誤植で、正しくは26日」

ピション氏、シャファルニャにたくさんいるいとこ(蚊)達に遭遇し、散々な目に。これでもかと言うほど刺されるも、幸い鼻は被害を免れ、今以上に鼻がデカくなる事だけは回避。

        この表現については本文で詳しく述べる。

本年の同月26日:雌犬シュディナが小麦畑にいたヤマウズラを捕獲。コザチカ嬢は、殺された可愛そうな鳥を取り上げると、ヤマウズラを梨の木に吊るした。賢い雌犬は木を揺すり始めるも効果なし。それで雌犬は、ヤマウズラ捕獲を成功させるべく高く飛び上がり、大いなる食欲を持ってそれを成し遂げた。ガリア人にカピトル丘を陥落させなかった事で感謝されている有名な英雄[カピトル丘のガチョウ]の子孫のうち数名は、今では、オート麦を収穫前に購入している模様。このような不正行為は、しばしば商人の殿方達に生命の代価を支払わせている。彼等の多くが、本当に罰を受けるかのように頭を打たれ、焼き串に刺されて最期を遂げている

        「カピトル丘を救ったガチョウ……紀元前390年頃、ガリア人がローマを襲い、カピトル丘(古代ローマの7丘の一つ)を除く全市を占領した。伝説によれば、カピトル丘の防衛にあたっていた戦士たちは、敵が不意の夜襲をかけてきた時、おりよくユノー神殿のガチョウの鳴声によって呼び起こされたとされている。」(※「トロツキー・インターネット・アルヒーフ」より)。

憂鬱そうにしていた七面鳥の兄弟が、悲しい事に病気で倒れました。彼は元気がなく、助かる見込みはないようです。25日、1羽のカモが人知れずニワトリ小屋を出た後、水死体となって発見されました。自殺の理由は分からず、遺族はこの件について完全にコメントを拒否。牝牛はかなり良くなりました。彼女は間違いなく全快するでしょう。

外国通信欄

 

本年の同月26日:ソコウォーヴォにおいて1羽の七面鳥が招待状も持たず庭に侵入。幼い頃からこの庭で暮らし慣れていた1羽のトビは、今まで一度も七面鳥と遭遇した事がなく、用心深い態度でこれを観察し、やがて注意を促すべく彼に接近。七面鳥は威嚇のため体を大きく見せようとしたが、この動作はトビをたじろがせるに十分ではなく、彼は頭をくちばしで突つかれ、決闘へともつれ込むことに。しばしの間、勝敗の行方は定まらず、ついに激しい努力の末、七面鳥はトビの右目を突き、この庭の支配者となる。かくしてこの決闘は痛ましくも幕を閉じた。

        この記事は最初、ショパンが親友ビアウォブウォツキに会いに再び「ソコウォーヴォ」を訪れたのかとも思ったが、次の記事で同じ日に「ゴルブ」に滞在していた事が書かれているので、おそらく人伝にもたらされた話のようだ。

        シドウ版では1羽のトビ(=Un milan)」となっているが、ポーランド語原文ではKaniaとなっている。ちなみに足達和子著『ショパンへの旅』(未知谷)では、これは「カーニャ嬢ちゃま」と訳され、「猫だろうと思われるが、不明」と注釈されている。

ピション氏、本年の同月26日にゴルブに到着。様々な名所や珍品の中でも、この品位ある旅行者の注意を長々と惹きつけていたのは、外国産の豚であった。

本年の同月25日:ビアルコフにおいて、猫がめんどりを絞め殺し、彼女は非常に悔いを残す事に。

近隣在住の某氏、国境の税関吏の厳しい取締りにも関わらず、コートの下に密輸品を3つ隠し、今月24日のゴルブ・フェアにて受け渡すべく持ち込みに成功。

☞ ロゾンにおいて、あるユダヤ人農民は、夜中に、自分の所有地でもない畑に子牛を放牧しておく習慣を持っていた。ところが24日の夜、オオカミがやって来て子牛を食べてしまった。畑の所有者は、ユダヤ人の卑しさに対する見せしめになったと喜ぶも、ユダヤ人はオオカミに対して激怒。彼は犯人を届け出た者への報酬として、子牛の肉を丸ごと与えると発表。

 

送信を許可する。

検閲官、L.D.

ブロニスワフ・エドワード・シドウ編『フレデリック・ショパン往復書簡集』

CORRESPONDANCE DE FRÉDÉRIC CHOPINLa Revue Musicale)より

 

        このシドウ版は、発行日が1824824日、金曜日」となっているが、この24日」も誤植。それにこれだと実際の日付と曜日がずれてしまうし、前号の発行日と同じになってしまう(※下図参照)。クリスティナ・コビランスカ編『故国におけるショパン』の複製写真で確認すると、ちゃんと27日」と書かれている。

1824年 8月

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家族書

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前号

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今号

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        このように、今号から、発行日の日付に「曜日」が記されるようになったが、元々実際の『ワルシャワ通信』には、このように曜日まで記されているのである。それでは、なぜ今号から「曜日」が書き込まれるようになったのだろうか? おそらくこれは、以下のような事なのではないだろうか?

1.       ショパンが最初に書いた「家族書簡」には、「僕達は、お父さんが来るのがものすごく待ち遠しいです」と書いてあった。これにより、ニコラが後からシャファルニャのショパンに合流していた事が分かる。

2.       その際ニコラは、おそらく道中の馬車の中で読むために、『ワルシャワ通信』を持参して来ていたのではないだろうか?

3.       そしてその原物を見たショパンが、今まで自分が「曜日」を書き込むのを失念していた事に気付いた…と、そんなところなのではないだろうか?

4.       と言うのも、その「家族書簡」には、「お父さんに持ってきて欲しい物があります。今日僕が計算したところでは、錠剤が27でなくなります」とあり、そうするとニコラは、その27日」までにはシャファルニャに到着していなければならず、その27日」と言うのが、すなわち、ちょうど今号の発行日だからである。

        この号も、最初の完品である1824816日」号と同様、文中の最も新しい記事の日付が26日」なのに対して、発行日はその翌日の27日」になっている。実際の新聞も、現在のように夕刊でもない限り、発行日と同日の記事が掲載される事はなく、最新ニュースは必ず発行日の前日になるのだから、『シャファルニャ通信』も、実はその常識に則って発行されていたのである。

 

 

今号で注目したいのは、「コルベルク書簡」の項でも取り上げた、ショパンの「鼻ネタ」に関する記事である。

 

「ピション氏、シャファルニャにたくさんいるいとこ(蚊)達に遭遇し、散々な目に。これでもかと言うほど刺されるも、幸い鼻は被害を免れ、今以上に鼻がデカくなる事だけは回避」

 

この「いとこ(蚊)」と言う表現は、シドウ版ではフランス語のcousinと言う単語が複数形で当てられているが、これには、「いとこ」と言う意味の他に「蚊」と言う意味もあるのである(※どちらも「血に縁がある」と言う事だろうか?)。

一方、ポーランド語原文で確認すると、ここにはポーランド語のkuzyn(=いとこ)」と言う単語が複数形で使われており、これは元々そのフランス語のcousinに由来する語だそうで、どちらも発音は「クズィン」に近くて似ているのだが、ただしポーランド語のkuzynには、フランス語とは違って「蚊」の意味はない。

要するに、ショパンは、本来「蚊」の意味はないポーランド語のkuzyn(=いとこ)」を、敢えて「蚊」の意味にしか取れない文脈の中で使用しているのである。もしもこれをそのまま「蚊」の意味で使用したいのなら、最初から、そのネタ元であるフランス語のcousinを使えばいいのに、ショパンはそうはしなかった。何故だろうか?

 

これに関しては、以下の著書で次のように注釈されている

 

ピホン坊ちゃまはシャファールニアに大変多くいた家族(蚊族)が原因で悩まされている。どっと襲い掛かってくるのだが、しかし、鼻でなくてよかった。今より大きな鼻になるところだった。[ポーランド語のkuzyn(従兄弟)とフランス語のcusin(※原文まま)(蚊)が、それぞれ複数形で掛詞(かけことば)になっている。]

足達和子著『ショパンへの旅』(未知谷)より  

 

また、ポーランド語の著書を直接和訳した以下の本で、その訳者によって同様に注釈されている

 

ピション氏、当時シャファルニャにはひじょうに多いいとこたちのせいで大きな被害に遭遇。刺され放題ではあったものの、鼻の無事がせめてものなぐさめ、これ以上大きな鼻は不要とは同氏の談。[ポーランド語のkuzynはフランス語のcousinに由来するが、前者とは違い、後者には「いとこ」と「蚊」の二義あるのを使っての言葉遊び]

バルバラ・スモレンスカ=ジェリンスカ著/関口時正訳

『決定版 ショパンの生涯』(音楽之友社)より  

 

確かに、これは「掛詞」であり、「言葉遊び」なのである。

だが、本稿で着目したいのは、何故ショパンがそのような「掛詞」「言葉遊び」を使って、この記事を家族に報告したのか?と言う、その動機なのである。

と言うのも、ショパンは、これと同じ「鼻ネタ」をコルベルク宛に書いた時には、このような回りくどい言い方はしておらず、ストレートに「蚊」を意味するkomar(※ポーランド語原文)を複数形で使っていたからなのだ。

        ちなみにシドウの仏訳版でも、そこはmoustique(=蚊)が複数形で当てられており、オピエンスキーの英訳版ではgnat(=ブヨ)」が複数形で当てられている。もちろん、いずれの単語にも「いとこ」の意味などない。

 

これは、コルベルクがフランス語に堪能ではなかったから、そのような「掛詞」「言葉遊び」を使っても通じないと考えたからだろうか?

いや、そうではない。つまりこれは、単なる「掛詞」「言葉遊び」ではなく、あくまでも、ショパン家の中でのみ通じる「楽屋オチ」だったからなのである。

 

何故なら、当時ワルシャワのショパン家には、実際にズザンナというショパンの「いとこ」が同居していたからだ。

 

ミスウァコフスキらの調査によれば、ショパンの母ユスティナの兄弟姉妹については、以下のように報告されている。

 

「アントニーナとヤクブ・クシジャノフスキには、ヴィンツェンティ、マリアンナ、ユスティナの3人の子供がいた事が分かっているが、おそらくそれ以外にもいたかもしれない。

彼らの唯一の息子であるヴィンツェンティは、1775年にイズビツァの所領で生まれ、そこで45日に洗礼を受けた。ヴィンツェンティは1805年よりずっと前の、おそらくまだ子供だった頃に亡くなっている。

長女のマリアンナ・ロザリア・レジーナは、1780年にサルノフに生れ、その年の92日にイズビツァで洗礼をうけた。マリアンナは、180259日にブドフでレオン・ビエルスキと結婚するまで、彼女の両親と一緒に暮らしていた(ゾフィア・スカルベクと結婚したアドルフが、そのビエルスキの兄弟だと考えられている事から、様々な著者が、クシジャノフスキ家とスカルベク家の、ショパン家との親戚関係を推測した)。彼らの娘ズザンナ・ビエルスカ1804年頃〜1869年)は、1820年代にワルシャワでショパン家と一緒に暮らしており、彼らの手紙の中で言及されている。マリアンナ・ビエルスカとその家族の、その後の消息はもう文書化されなかった。その地域の人口記録には、彼女について言及されていないので、彼女はおそらく、結婚後クヤヴィから出て行ったのだろう。彼女の母である未亡人アントニーナは、おそらく彼女について行ったのだろう。

ピオトル・ミスウァコフスキとアンヂェジェイ・シコルスキによる、「アントニーナ・クシジャノフスカ」に関する20061月の記事

Piotr Mysłakowski and Andrzej Sikorski/Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

』より

一方ニコラの姉妹はフランスにいて直接の交流はない。したがって、ユスティナの姪であるこの「ズザンナ・ビエルスカ」は、ショパンにとって唯一の「いとこ」になるのである。

1.         ショパンの手紙の中では、彼女は「スーゾン」「スーゼ」「ズージア」等の愛称で呼ばれている。

2.         ショパンの最晩年の世話をした弟子のジェーン・スターリングは、185029日付のルドヴィカ宛の手紙の中で、彼女の事を「スザンヌおばさま」と書いている(※ヤロスワフ・イワシュキェフィッチ著/佐野司郎訳『ショパン』(音楽之友社)より)。  

3.         彼女がどういう理由でショパン家に居候していたのかは分かっていないが、彼女は、ショパンの「いとこ」だった事が判明する以前は、ショパン家の女中と考えられていた。1931年に出版されたオピエンスキー編の英訳版書簡集の註釈では、[ズージアはショパン家の女中だが、家族同様に扱われていた]と書かれている。

 

 

この夏に書かれた最初の「家族書簡」の追伸にも、「ズザンナ・ビエルスカ」「スーゾン」と言う愛称で登場していた。

「僕は心から、ルドヴィカ、イザベラ、エミリア、スーゾン、デケルト夫人、レシュチンスカ嬢にキスします。」

したがってこれは、勿論シャファルニャにショパンの「いとこ」がいるという意味ではない。

つまり、これはこういう事なのである。

1.       生粋のフランス人であるニコラが蚊に刺される。

2.       すると彼は、思わず「cousin(蚊)に刺された!」と言う。

3.       するとそれは、ポーランド語がネイティブである妻や子供達には、「kuzyn(いとこ)に刺された!」と聞こえる。

4.       すなわちそれが、ショパンには、自分の「いとこ」である「スーゾンに刺された!」の意味に受け取れるので、それで笑い話になる。

この「言葉遊び」には、このようなショパン家の「楽屋オチ」が内包されているのである。

だから同じ「鼻ネタ」を同時期にコルベルク宛に書いた時には、ショパンはそのようなひねった言い方はせず、ストレートな自嘲表現を使ったのだ。

 [2010年8月21日初稿 トモロー]


 【頁頭】 

検証:3-6:『シャファルニア通信』 1824年8月31日、火曜日号

ショパンの手紙 その知られざる贋作を暴く 

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