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検証12:シュトゥットガルトの手記は贋作である――

Inspection XII: Is the note of Stuttgart genuine? -

 


3.自他共に認める筆不精のショパンが、果たして日記など書くのか?―

  3. Does Chopin really write a diary?-

 

 ≪♪BGM付き作品解説 前奏曲 第2番 イ短調▼≫

 

今回問題にしたいのは、自他共に認める筆不精のショパンが、果たして本当に日記など書くのだろうか?と言う事だ。

この件について私は、過去にも幾度となく言及し続けてきた。

もしもショパンにそのような習慣があったのであれば、彼はワルシャワ時代の20年間やパリ時代の18年間においても同様に日記を書いていたはずだろう。ところがそのいずれにおいても、彼はただの一日たりとも日記や手記の類を書き残してはいない。この人は遺言書すら書かなかった位なのである。

それなのに、たった1年足らずのウィーン時代にだけ日記を書いていたなんて、まずその事自体が不自然なのである。

 

確かに、このウィーン時代と言うのは、ショパン個人にとっても祖国にとって一大転機となった時期であるから、彼がそんな状況下でいつもとは違う精神状態に置かれていたであろう事は考えに難くない。

だが、ショパンは最初からウィーンのみに留まるつもりで旅立った訳ではないし、彼が祖国を立つ前からヨーロッパ情勢は荒れていて、いつそれがポーランドにも波及するか予断を許さない状況だった。その事は本人もちゃんと分かっていて、当時の手紙にもそのように書いていた。

ショパンはウィーンから家族宛に出した手紙には、彼がいつもそうしているように、それとなく仄めかす言い方でもって、自身の心境をきちんと正直に伝えている。

その一方で、家族にも言えないような事を打ち明けていたとするウィーン時代の「マトゥシンスキ書簡」と言うものがある訳だが、それは全てカラソフスキーが国粋主義的な目的で捏造した創作である。そして今回の「シュトゥットガルトの手記」を含むショパンのアルバム(日記帳)のトーンや文体は、正にそのカラソフスキーの贋作書簡そのままなのだ。

つまり、実際は平和主義者で、政治的には保守中立の立場で双方の人々と交際していたショパン自身の手による筆致とは、大きくかけ離れているのであり、その事は誰の目にも明らかなのである。

しかもショパンは、今回のポーランド・ロシア戦争では大切な人を誰も失っていないのだ。家族も友人達もみんな無事だったのである。それなのに、最初からその無事を祈ろうともせず、みんな殺されたり強姦されたりしたに違いないと勝手に決め付け、その妄想のみを根拠に自分で錯乱し、そしてそれをそのまま日記に書きつけて大騒ぎしておきながら、実際に皆が無事だった事を知ってもそちらに関しては一切ノーコメント…。

こんなおかしな日記などないだろう。

ここからは明らかに、この日記の筆者の政治的意図が読み取れるだけなのである。

 

 

それではここで、現実のショパンが大切な人を失った際に果たしてどのようなリアクションを取っていたのか? その事について今一度、実際の例を挙げて見てみる事にしよう。

 

たとえば、ワルシャワ時代には妹エミリアの夭折があったし、また、真の意味で唯一無二の親友だったビアウォブウォツキの病死もあった。

パリ時代には、一時期同居生活をしていた親友マトゥシンスキが病死するのを看取ったし、父二コラの訃報もあった。

そんな時、ショパンはその悲しみに対して一体どのようなリアクションを取っていたのか?

 

 

まずはワルシャワ時代のエミリアから。

エミリアが最期の病床に臥せっていた時、ショパンはその事についてたった一度だけ、ビアウォブウォツキ宛の最後の手紙に以下のように書いている。

 

「我々の家が病魔に襲われている。エミリアが寝込んでからすでに4週間が経つ、咳をして、血を吐き始めたので、ママが驚いている。――そこでマルツ先生は血を吸い出す事を命じた。1回、2回とヒルを貼ったが、何も効果がなく、ハエ取り紙、芥子軟膏、トリカブト、恐ろしい、恐ろしい!...この期間中、彼女は何も食べなかった:見間違える程にやせ衰えてしまった。今になってやっと気持ちを落ち着ける状態になった。――僕たちの家で何が起こっているか、君の想像に任せる。僕には説明する事ができないので、想像してくれたまえ。」

1827314日付、ヤン・ビアウォブウォツキ宛の手紙より

 

ショパンは、「僕には説明する事ができないので、想像してくれたまえという言い方で、もはやエミリアが危篤状態である事を遠回しに仄めかしている。こう言う書き方一つをとっても、ショパンが、このような時にはとにかく言葉を失ってしまう人間である事がよく分かる。

そして、約1ヵ月後の410日」に、エミリアはそのまま亡くなってしまう。彼女は当時14歳だった。

エミリアの死が現実のものとなってしまうと共に、ショパンもまた完全に沈黙してしまっている。彼はこの時期、誰にも手紙を書いていないし、もちろん、その悲しみを日記や手記に書き残すような事もしていないのである。

エミリアの死については、ショパンの代父スカルベクが追悼文を雑誌に寄稿しているが、そこでも、ショパンを含む遺族は何のコメントも残していない。彼らはただ悲嘆の涙に暮れているだけだった様子が、他の知人の回想録によって報告されている。

 

 

次は、ショパンの少年時代の最大の親友ヤン・ビアウォブウォツキの病死。

これについては、ビアウォブウォツキが亡くなったと言う「誤報騒動」が起きたお陰で、ショパンが親友の死に対してどのような反応を示していたかが、本人の口から笑い話として語られている。

 

「――何から何まで悲しい出来事で僕らの家は覆われている。――最後のとどめは地獄からの言葉だ、どこから来たのかは分からないが、君が死んだと言う知らせだ、それは僕に、涙だけでなく、お金も浪費させた。――当然、そんな話を聞かされたもんだから(君が僕の死を聞かされたらどうなるか、想像してみてくれ)――(追記、ちなみに僕は生きているよ)――あまりにも泣きすぎて頭痛に襲われ、そのまま朝の8時になってしまった11時頃にイタリア語の先生が来たけど、レッスンができなかった――」

1827314日付、ヤン・ビアウォブウォツキ宛の手紙より

 

見ての通り、ショパンは夜通し泣いて過ごす以外に、何も出来ずにいたのである。

そして、この1年後にビアウォブウォツキは本当に亡くなってしまう訳だが、その際には、エミリアの死と時期的に重なっていることもあって、ショパンは完全に沈黙してしまっており、やはりその時期には誰にも手紙を書いていないし、もちろん、その悲しみを日記や手記に書き残すような事もしていない。

 

 

次はパリ時代のヤン・マトゥシンスキ。

マトゥシンスキが亡くなったのは1842420日の事で、これについては、ジョルジュ・サンドがポーリーヌ・ヴィアルド宛の手紙に次のように書いている。

 

「ショパンのかつての学友で、医者でもあるポーランドのお友達が、長くて無慈悲な死の苦しみの末に、私達の腕の中で亡くなり、ショパンもほとんど同じ苦しみを受けたも同然でした。彼は強く、勇敢で、献身的でした―こんな弱い人からは想像もできないほどで、それ以上でした。でも、それが終わってからと言うもの、彼は虚脱状態になりました。いくぶん元気を取り戻してきましたので、私は、ノアンに行って彼が出来るだけ健康を回復してくれるように願っております。」

アーサー・ヘドレイ編『フレデリック・ショパンの手紙からの要約選集』

Selected Correspondence of Fryderyk Chopin: Abridged from Fryderyk Chopin's Correspondence』より

 

ここでもショパンは、「虚脱状態」になる以外にどうする事もできず、やはりその時は誰にも手紙を書いていないし、もちろん、その悲しみを日記や手記に書き残すような事もしていない。

 

 

最後に、父ニコラが亡くなった時。

ニコラ・ショパンが亡くなったのは184453日の事で、これについても、ジョルジュ・サンドが、彼女とショパンの共通の親友オーギュスト・フランコム(フランショーム)宛に次のように書いている。

 

「[1844512日、パリ]

親愛なるフランコム様、

私達のかわいそうなショパンは、たった今、彼のお父様が亡くなられた事を知りました。彼は、今日は一人で家に閉じこもりたいそうです、でも私としましては、明日あなたに来てもらって、彼と会ってくれるようにお願いしたいのです。あなたは彼を元気にする事のできる数少ない一人で、私は、彼の悲しみがあまりにも大き過ぎて、私自身が辛いのです:私には彼を慰める力がありません。

敬具、ジョルジュ・サンド

日曜の朝。」

アーサー・ヘドレイ編『フレデリック・ショパンの手紙からの要約選集』

Selected Correspondence of Fryderyk Chopin: Abridged from Fryderyk Chopin's Correspondence』より

 

ここでもやはりショパンは、「一人で家に閉じこもりたい」と言う以外に何も出来ず、誰にも手紙を書いていないし、もちろん、その悲しみを日記や手記に書き残すような事もしていない。

 

 

これが、ショパンが家族や親友の死に遭遇した時のリアクションである。

その全てが、一つの例外もなく一貫している事が分かるだろう。

このような時、ショパンはただひたすら言葉を失い、病人のようにふさぎ込んでしまって何も出来なくなってしまうのである。

 

このような実例を見てみる時、果たしてショパンが、シュトゥットガルトで「ワルシャワ陥落」の知らせを受けたとして、それに対して怒りや絶望に任せてあのような日記を書き殴り、さらにその傍らで≪革命のエチュード▼≫や ≪前奏曲 第24番▼≫≪前奏曲 第2番▼≫を作曲するなど、本当にしていたと想像できるだろうか? そのような事は現実に考えられないと言うのが、よく分かるのではないだろうか?

 

 

 

ショパンが大きな悲しみに遭遇した時の身の処し方については、失恋においても同様の事が言える。

 

たとえば、ショパンが現実に経験した失恋は2つある。

いずれもパリ時代で、

1.     1つは、恋愛を経て婚約にまで至ったマリア・ヴォジンスカとの破談で、

2.     もう1つは、9年間同棲していたジョルジュ・サンドとの破局である。

どちらの場合も、やはりショパンは、その失恋についての感情を日記や手記に書き残すような事は一切していない。

 

マリア・ヴォジンスカについて言えば、ショパンは、彼女と婚約して以降は今で言うところの遠距離恋愛状態となり、ヴォジンスキ家との手紙のやり取りだけでお互いの気持ちをつないでいた。

ところが、ショパンの健康状態を気にしたヴォジンスカ夫人が彼の私生活に干渉し始めると、徐々に雲行きが怪しくなっていき、マリア・ヴォジンスカのコメントまでもが母親の検閲を意識して控えめになっていく。

そしてとうとうヴォジンスキ家側から破談の由を告げる手紙が送られてくるのだが、その手紙は現存しておらず、具体的にどう書かれていたかは不明である。

ただし、当時ショパンが友人のフォンタナ宛に書いた手紙にそれについて遠回しに報告されており、そこには次のように書かれていた。

 

■ロンドンのフレデリック・ショパンから、

パリのユリアン・フォンタナへ(18377月中旬頃)■

(※原文はポーランド語)

我が親愛なる友よ、

コズミアンを僕に紹介してくれて感謝している。彼がいなかったら僕はロンドンで迷子になっていた事だろう――僕宛の手紙(※複数形)を回送してくれた事にも感謝している:でも、そのお陰で僕はまだ溜め息を、そしてまた溜め息をつかなければならない。だが、地獄にいる悪魔達は皆、ここに来れば泥も乾いて見えると言わせようとしているみたいだ。愛すべき、灰色の泥!…(後略)…

アーサー・ヘドレイ編『フレデリック・ショパンの手紙からの要約選集』

Selected Correspondence of Fryderyk Chopin: Abridged from Fryderyk Chopin's Correspondence』より

ショパンとフォンタナの間では、このような仄めかしで十分何を言わんとしているのかが通じるのである。

だから、いちいち、“ヴォジンスカ夫人から婚約の破棄を言い渡されたよ”とかの、贋作者が安直に書いてしまうような説明セリフみたいな事を書く事もないのである。それがショパンの手紙の筆致なのだ。

そしてショパンはこの後、ヴォジンスキ家からの手紙の束をリボンでまとめ、そこに一言“我が悲しみ”とだけ書き添えて書庫にしまい込んでしまう。

つまり、それこそがいかにもショパンらしい身の処し方であり、その時の感情を日記や手記につらつらと書き連ねるような事は決してしない。彼には元々そのような趣味も習慣もないからだ。

 

 

同様に、ジョルジュ・サンドとの破局の経緯についても、それに関する事を手紙等で書き残しているのはもっぱらサンドの方であり、ショパンはそれについてはほぼ沈黙してしまっている(※これについては話が長く複雑になるので、また別の機会に説明したい)。

 

 

であるからして、ショパンは、どう考えても日記や手記を書くようなタイプの人間ではないのである。

百歩譲って、仮にショパンが「シュトゥットガルトの手記」に書いてあるような事を考えたとしてもだ、彼はそれを文章に書き残すような真似は決してしないと断言できるのである。

 

[2013年2月24日初稿 トモロー]


【頁頭】 

検証12-4:二つの「シュトゥットガルトの手記」(仮題)

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